読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1958年10月発行 読谷村だより / 4頁

唄と三線の昔始りや インコねあがりの神のみ作

唄と三線の昔始りや 
 インコねあがりの神のみ作
  十一月一日(旧九月二十日)

 楚辺の東に赤犬子宮がある。此処は今から凡そ四百年前琉球音楽の鼻祖アカインコ終えんの地で、インコは生来音楽が好きで、自分で三味線を作って道歌や民謡を三味線に乗せて唄い、方々を巡業していたとのことで前記の歌はインコが唄三味線の始祖だといわれたことを詠んだのである又インコの詠歌として
うざの楽しみや 唄と三味線 楽しみにまかち 長座するな
と云う教訓歌も伝わっている。それで昔から終えんの地を拝所として毎年旧九月二十日赤犬子祭を行う慣例となっている。今年も十一月一日(土)には同地で赤犬子祭が楚辺を始め音楽家の方々によって行われることであろう。現在の御堂は一九五六年楚辺区民により建立されたものである。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。