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1965年7月発行 読谷村だより / 4頁

保育の意義

保育の意義
 人間性の育成とか、人格の形成と言う事が強調され、その面での教育の問題が、多くの人々の関心を呼ぶようになった。
 特に機械化文明の発達に伴い、失われつつある人間性の回復と言う課題は、更に人間をより内面的に考察する機会を我々に与えた。そのような観点から、特に教育的な面で、”人格の陶治”と言う事が考えられると思うのですが、それに伴なう教育活動は、申すまでもなく、学校に限定されるものではない。それは人間社会のあらゆる生活の場に於いてなされると同時に、すべての年令層に於いてなされなければならない。
 特にこれを人間の性格形成の面からみた場合、幼児期に於いて、其の基本的な部分が、ほとんど形造られる事が明らかになって来た(”三つ子の魂百まで”の諺の中に古い時代から経験を通して知られていたようですが)
従って幼児教育と云う事が、人々の重大な関心を呼ぶようになり、近年日本に於いては著るしい発達を見るようになった。
 幼児教育、つまり保育は従来これが家庭に於いて為されて来たのですが、幼児の教育が重視されるにつれて、より専門的な知識と活動が要求されるようになり施設に於ける保育が今日絶対に欠けく事の出来ない要素になって来た。近年日本内地に於いては義務教育以上に重視されるようになっている。
 沖繩に於いても、幼児教育がだんだん重視されつつある今日、我が読谷村に立派な保育園が完成した事は大変喜ばしい事であり、子弟の教育に多大な関心を寄せ、施設を十分に活用し、幼児教育の発展に尽力しなければならないと思います。
 読谷教会牧師 松田定雄

※写真「楽しい保育所での一日」は原本参照

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