話のサロン 地球を一周半走った話
五時とはいえ、まだ暑い八月の下旬、E君の来訪を受けた。今年もいよいよ陸上競技のシーズンがやつて来ました。各部落とも陸上の練習に入つておりますので、”陸上の練習方法について”書いて下さいませんかという原稿の依頼であつた。
練習方法をもともと書くということは、そう簡単のことではない、加えて原稿用紙→二枚位ときたからことはますます難しくなつた。
だいぶ前の話しであるが、わたしが高校三年の時、背の丈け、五尺三寸の小柄に、トリウチ帽をかぶつた、いかにもスポーテイーな紳士が学校に来られた。この小柄の紳士が、かつてベルリンオリンピツク大会で、日本代表選手として五千米と一万米で活躍した村社講平氏であつた。氏は長身のヨーロツパ選手と堂々と斗つて三位に入賞し、観衆は勿論、ベルリンの各新聞も氏の敢斗善戦をたたえたことは有名である。氏の血のにじむような体験を通してのお話しや、実技指導を受けることができ一生のよき思い出として残つている。氏は確かあの時四五、六才とみえたが、我々高校の陸上部の連中がオーミングアツプでも追いついていけない有様であつた。
村社氏の講演で特に印象深く残つているのがある。「私の陸上競技生活で走り通した距離の長さは、実に地球の一周半になります」と云うことを聞いたことであります。地球の長さもわからない私は、ただただおどろくぼかりであつた。氏は更に続けて、「あの当時は何も考えずに、ただひた走りに走りまくつていたのですが、今ではもつと科学的な練習方法もあるとは思いますが、とにかく陸上をやる者は周囲のことに気をとられずに走つて下さい。自分で考えて走ることが最も大切な練習の方法です。スポーツを別のものと考えずに生活化して下さい。毎日きめられた巨離(練習量)を走らなけれぼ、その日の生活や、身体の調子がくるい、おかしくなる位、習慣化することですね」とスポーツの生活化を強調しておられた。
「生活化したスポーツの中から自分の体に適した練習方法は、自然に生まれてくるもんです。特に日本人は西洋の長身の選手と斗う時には、背が低く、歩巾が小さくて不利になるので、それをカバーするために、上半身を安定させ、ピツチを早めるような練習をしなけれぼ背の低い者は勝てないのだ」と村社氏は指摘して下さつた。
東京オリンピツク大会の日本選手団のマラソンのコーチの一員として活躍しているお姿を画面を通してみることができてうれしかつた。コーチ陣の期待と全国民の注視のうちに、マンモス国立競技場に、二番でとびこんで来た円谷幸吉選手の力走を見て感激したのも、まだ記憶に新しい。読谷村の陸上界も池原、松田比嘉(秀吉)の諸選手が中央大会や、九州大会、国体などで活躍しているが、そろそろ、新人が出て新風をまき起してもいい頃である。
若人よガンパレ。
(読谷村体協陸上部長)
山内 徳信