読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1967年12月発行 読谷村だより / 4頁

話のサロン 師走随想

話のサロン 師走随想  
知花 広三
 一、ビニール・ハウス
 小売り店の店先にハシリの野菜が飾られている。その野菜は島尻の匂いがする。読谷の香りのする野菜をハシリから食べたいものだ。
 島尻の野原を行くとビニール・ハウスが風景画よろしくいたる所で目につく。我が村でも最近、数は少ないがビニール・ハウスが点々と見られるようになった。Tさんのような良い指導者のもので、グリーン・ハウスの数が増えて、年中郷土の香り豊かな新鮮な野菜を食卓にのせたいものだ。
 二、肥育牛
 闘牛がさかんになってよろこばしい事だ。肥育牛も高まっている。雄があって雌がないとはカタチンバだ。養豚はさておき、村内の闘牛や肥育牛飼育がさかんになることは、畜産振興のシンボルだ。皆さんの奮起を心からお願い申し上げる。
 三、景品付き
 年末大売出しに付きものの景品付きその景品の代が買う人の品物の代にあらかた算入されているとか。いないとか。
 「安物買いの銭失い」どころか「高物買いの百貨店モウキラサー」らしい。買い物上手はあまり大売出しのノボリや景品付きのピーアールには心ひかれないとの話です。
 四、忘念会
 「忘してたみなゆる事ぬ
あみやしが
きゅや年忘して
百才ぬびゅさ。」
琉歌の「忘年」の述懐です今の忘年会にはそんなムードはありませんね。
 「この一年苦しかった。今夜こそ呑みにのんで年を忘れよう。」あげくのはては大虎小虎「百才延びゅさ」どころではありません。
 文明と野蛮が同居するアンバランス、シーンを展開します。何かしら狂っている世の中だから狂わぬよう心したいものです。
 五、師走
 年の暮、年末、師走という言葉は一般庶民に何かしら、人の世の哀歓や焦燥の感を与えることに昔も今もかわりはないと思います。
 過ぎ去った正月に「今年こそは」と希望を新らしくこぎ出して十二ヶ月間、さてこの年切れ(ニンジリ)の月、心静かに除夜の鐘をきき、希望の春をめでたく迎えることが出来るか、寒風吹きすさぶ中を目に見えないエモノを追うように、道行く人々の足取りにも、せわしくなく往来する車の騒音にも、何がなしに年越しの準備のあわただしさが感じ取られる今日この頃です。このあわただしさを乗り越えて皆様、新しいよい年を迎えますように。(一二、一〇夜)

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