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1968年4月発行 読谷村だより / 4頁

話のサロン 草木の歌

話のサロン 草木の歌 
山内 繁樹
 環境を美しくし、生活を豊かにする意図から、花一ぱい運動が展開されていることは、うれしいことです。花にはそれぞれ花詞があり、伝説や詩歌や、かわったイメージもありますので、色香や形だけに魅されるだけでなく、物語など知るのも、おもむきがありますので二、三書いて見ます。万葉集一六巻に△はちす葉はかくこそあれもおき麻呂がいえなるものはうもの葉にあらまし、とあります。これは蓮の葉で、おき麻呂の家に生えている物は里芋と言うものであろうと、歌人たちのいい争っている場面を想像してすこしユーモラスの感もしますが△キヤベヂはかくこそあれも万作の家なるものはカリフロワならまし、と読みかえて現代版にして見ますと、終戦当時石川市に避難している時です。米民政府から甘藍の種子の配給がありましたので、空地に入念に蒔いたのですがいつまでたっても、球が出来ない、つい台が立って一面黄色の花が咲いて食用にならないと言って、皆ぬき捨てました。住民は口々に、「米人はタナガーヤーを配給してある」と不平を言いました。自分もその一人です。それから一年ばかり後に、米国桑港の青物市場を視察する機会がありましたので、青蕾のブロツコリ、が販売されているのを見、レストランでも料理に出されるので、自分等の知識の浅さを反省しました三月七日の新報に「千葉の古代大賀はす沖繩入」と報じています、「二千年前のはすが地下深くねむりつづけ、その生命を似て地上によみがえり見事花咲いたと言う。
驚異的現象それが一人の老博士の知能と執念によりなしとげた」不思議な力を持つ蓮、それは平和のシンボルであり、仏教の極楽浄土の供花にもなり、日常の食用にもなり目の保護にもなります。今昔物語には加賀の女、近江坂田の女、伊勢の老嫗の蓮の花と極楽往生のことが出ています。里芋のことを普通「いも」と言っています。
△いもも子を生めば産後の月見かな、本土では八月の月見頃収穫するので親芋に子芋が出来たので産後の月見とうたったのでしよう。沖繩方言でチンヌクと言う言葉は角の子のことで、子芋の形が牛の角に似ていることからそう言ったかも知れません。琉球料理に砂糖田楽と言う珍味がありますが里芋と同種で田芋を使います。本土では長崎地方で見ましたが、布哇島の島の土人は盛んに栽培しています。辞書には田楽とは「こんにやく、里芋はんぺん等を煮込んだもの」と書いてあります。川柳子が田楽にすると言う句は食物のことの外に、母親とその連子の娘を色にもつと言う淫猥の意味があります。今昔物語か芥川の小説にある「芋粥」は里芋の粥つことではなくて山の芋のことです。琉歌のこてい節△二葉から出じていく年が経たら岩をだき松のもたへさかへ、本部按司、植物で寿命の一番永いものは、カリホルニヤの谷に生えているデッドウードで高さ一〇〇米にも達し二千年もの生命が続いているとのことです。松は寿命五〇〇年位と言われています。松は発芽の時二葉からは出ません。茎に付いて居るのは二葉ですから、発芽の時も二葉と想像てよんだでしよう。くろまつ、あかまつ琉球松は二葉、ごよう松は五枚、たいおう松は三葉束になっています。松は日本の特産で世界的に有名です。沖繩の名木に、伊平屋の念頭平松△念頭平松の枝ぶりのちゅらさ念頭みやうびの身持ちちゅらさ。
久米の五枝松△久米の五枝松や下枝ど枕。
十七八んじよやわうり枕大山平松△大山平松の枝ぶりのちゅらさ大山みやらびの手振ちゅらさ。沢山の名木か今度の太平洋戦争で、若い勇士と共にその姿を消し、更に人災天災で松の樹が減っていくのは実に淋しい。

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