話のサロン ものは見よう、考えよう
大古の昔から月は変わらないと言うが、月は見る人によって、悲しくも、楽しくも感ずるものだ。
阿部仲磨呂は異郷にあって月を眺めて悲しい歌を詠んだ。或る人は変わるな変わるなと言いながら変わる人の心を歎いて、
月や昔から変わるくとねさみ
変わていくものや人ぬ心
と詠んだ。或る人は愛人が忍ときに
クフヮデサぬ
う月まどまどる照ゆる
与所目まどはかて
忍でいもり
このうたを恋人は与所知れるのをおそれてどんなに月に遠慮したであろう
或る人は
りちゃよ、押し連れて眺みやい遊ば
今日や名に立つる十五夜でもの
と名月を眺めながら月に向って楽しく詠んでいる私は十五夜の名月を眺めるとき、
十五夜ぬう月(チチ)
まんまるにあしが
わがアンマ(妻)う乳チチ
ケウチ(皿)なとさ
と詠み度い、若い時は絶世の美人であった私の妻は、五十の坂をヤット掛声をして飛び越した今は、若い時の美しさは何処えやら消え失せて若いときフックラと魅力あったウブクのようなう乳(チチ)は今はケウチ(皿)のように平たくなってしまった。顔のシワもアイロンかけてもなおりそうもない。頭まで年々白くなっていく悲しさ、吾輩に比較すると妻は叔母さんの身分の続柄のようで全くサボーリタムンのような存在だ。しかし、見よう考えようによっては若い時の結婚当時の、あのほれぼれとした美しかった姿を想い出すと、過ぎし昔の美しい名乗りは今も残って美しく見えるものだ。さて、読谷の畑を見るとき見よう考えようによっては実に素晴らしい土壌だと私の目に見える。
読谷の人々はやせ地でこの土地では農業しては儲からないと、農業をけなしているようであるが適地適作を考えると、この土壌は近いうちボリビヤのような宝庫の土地が目の前に寝ているように見える。この土地は、人参、いも、スイカなどの最適の土壌である。この好条件の土性を見る目と考える農業をやるなら読谷村の土壌は立派な楽士となる。この立地条件を生かすスイカの主産地形成の計画で村指定のスイカ栽培展示圃を設置して見ると、栽培者の懸命な努力と、村経済課の指導ようしきを得て予想以上の収入を得ている。四月二十七日種まき、五月十三日定植、収穫始め七月八日、収穫終り八月六日面積一六一坪から、個数五四四個数、量二、二四六㎏、金額三九九ドル余坪当り二ドル四十七仙で反当り(三〇〇坪)換算にして七四二ドルと言う粗収入を在圃僅か八十五日間であげて農家はこんなに儲かる農業もあったものかとホクホク、クリ与所ネー知ラスナヨーと大喜び、土地の見ようと考えようによっては読谷の畑は黄金の土壌に変わっていくことはあまり遠くあるまい。
読谷担当普及員
田 場 典 明