奄美大島視察報告
議長 知花平良
沖繩市町村議会議長会から中部地区代表として、去る八月十九日から二十六日まで奄美郡島の復帰後における復興状況と、復帰後における問題等について調査して、沖繩の祖国復帰問題の参考にするために、視察調査に参りましたので、その一部を御報告いたします
昭和二八年十二月、奄美郡島に関する日米協定条約により、奄美大島は宿願の祖国復帰がかなえられた。あれから十五年、政治、経済、文化、教育などあらゆるものがみちがえるように復興されていった。
奄美がかつては、われわれと同じ運命にあえぎ、復帰十五年の今日まで、どのように歩んできたかを調査するため、八月十九日から八月二六日までの八日間の日程で奄美大島を視察調査して参りました。
今回の視察調査では「奄美郡島復興特別措置法」制定の背景、その改正の推移同法措置法に基づく諸計画の変遷、その他計画決定及び実施運用などについてその概要をある程度把握することができた。
調査期間中は、関係資料の蒐集に重点を置く、一方奄美の復興、発展の現状及びその要因を探るため、つとめて関係機関や、復興事業による諸施設の視察を行なったのであるが、中でも特に感じたことは、復興事業に対する国、県、市町村の三者が一体となって計画実施によって将来の発展の基礎づくりの事業に取組んでいることである。
今回の視察調査の収穫は復帰後の奄美郡島の復興発展の原動力について新たな認識を得たことである。すなわち、国の強力なる施策と、これを実施推進する官民の努力が今日の奄美を支えていると言っても過言でないと思う。
奄美郡島復興計画及び振興計画は、戦火に続く八ヵ年間の行政分離によって社会経済のおくれを復興し、且つ本土の発展に並行して振興を促進するためにとられた法律に基づく国の施策である。
両計画の期間は通算十五ヵ年となっており、奄美郡島復興事業は、「奄美郡島復興計画(十ヵ年計画)に基づき昭和二九年度から実施され、昭和三八年度をもつて終わっており、事業の実績は、計画総事業費二一四億円、国庫支出金一二一億円に対し、実績総事業費二一〇億円(九八%)、国庫支出金一二一億円(一〇〇%の達成をみている。
復興事業に引き続き振興計画(昭和三九年三月三十一日奄美郡島振興特別措置法)が策定され、昭和三九年度から昭和四三年度までの五カ年間を目途に実施されている。復興計画は、昭和三九年度以降五カ年において、復興計画に準じた特別措置を講じ、住民の生活水準をおおむね鹿児島県本土の水準に近づけることを目標として、綜合的な計画のもとに実施された。また振興計画に基づく事業の実施に必要な地元負担の確保をはかるため、引続き政府資金による所要の金融措置が講じられている。
復興計画の総事業費は一七九億円で、その内国庫支出金が約七五億円となっている。昭和三九年から四二年度までの事業の実績は、計画総事業費一七九億円、国庫支出金七五億円に対し実績事業費一二八億円(七一、五%)国庫支出金六〇億円(八〇、〇%)の達成率をみている。
このようにして奄美郡島の復興計画及び振興計画が着々と進められているが詳細にわたる調査報告は後日纏めることにし、視察調査の所見をまとめることにした。(次号へつづく)