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1969年9月発行 読谷村だより / 1頁

各区で多彩の行事 -としよりの日に-

各区で多彩の行事 -としよりの日に-
 九月十五日は、としよりの日です。
各部落、老人をいたわり、お年寄りの御苦労に感謝する敬老会が開催されます現在、村の最高令者は百一才の松田マシさん(字高志保)を筆頭に九〇才以上三六名が元気にすごして居ります。
 今月は、としよりの日にちなんで、二、三、元気者のおじいさん、おばあさんを紹介したいと思います。
 松田マシさん(百一才)
字高志保一四四は孫の芳英さんと一緒に暮らしている。一世紀を生き抜いただけあって、食事もえり好みせずバター、チーズもOKというモダンな方である。
耳がちょっと遠くなっただけで、目、足腰は、大変丈夫、毎朝六時に起き、冷水麻さつの後でないとお茶も飲まないという、清潔好きなおばあちゃん。
つい二、三年前までは庭の手入れもしていたが、現在は家でテレビを見るのが唯一の楽しみ。
それでも、正月に曾孫が来るとき、若い時の話しを聞かすのも自まんの一つだそうだ。
明治二年四月二日生まれの百一才、読谷一の長寿者である。
 山内マシさん(九十二才)
長浜一八三七の二((宇座)東かま)は、村内でも屈指の働き者として知られているおばあさんである。朝七時には畑に出かけ、一日中畑仕事に精出すことがあるという。
そんな時、体のことを心配して孫嫁が再三注意してもさっぱり効果なしという。
曾孫たちも多いが成長しておばあさんの手を必要としないせいか、家に居ることが何よりもつらく、野良に出て、青々とした農作物を見ることが一番楽しいそうだ。
 現在まで病気らしい病気をしたことがない。
長寿の秘決はこれと言ってないが、どんな苦しい時でもくよくよしないで気を大きく持つことだと言う。
宇座浜できたえた体はやがて一世紀に達しようとしているが実に若々しく、七〇才位にしか思えない。明治十年八月十二日生の九十二才である。
 この人は、明治六年八月十日生れの安次嶺克祥さん(字渡具知出身)、今年カジヤマ(白寿)を迎えるが若者に負けない気質で、現在、牛を飼育するという非常に元気者である。
 現在、長男の克春さん家族と一緒に暮し、孫や曾孫も多い。日課としては、朝六時に起き、七時から正午までは、牛の草や、屋敷内の草取り、野菜の手入れに精出す。
午後からは、一時間横になってから、テレビを見ながら曾孫と遊ぶのが楽しみ、長寿の秘決は別にないが規則正しく生活したこと、若い時から酒は口にしなかったためではないかと言う。
 明治七年一月五日生まれの知花伊七さん(九十五才)波平二八二は、長女の幸喜カメさん家族と一緒に暮らしている。体は小柄の方であるが、顔の色つやは若々しく、まだ若者には負けないよと言うだけあって、非常な楽天家、毎日六時に起き、軍作業人が出勤するときには、野良仕事に行く程の人だ。日課の仕事がすむと正午からは一休み、それから庭の手入れや、家畜の世話をするという、九十五才の老人とは思えない程の元気なおじいさんである。

※写真「中部地区老人福祉センター」、4名の顔写真については、原本参照。

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