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1971年3月発行 広報よみたん / 2頁

漁業損失補償せよ 読谷漁業民政府に上告

漁業損失補償せよ 読谷漁業民政府に上告
 民謡 上り口説で有名な本村の残波岬、夏場になると釣りマニヤが各地から集って大変にぎわいます。
 この残波岬沖は、潮流の関係もあって、一本釣りやハリ網、サシ網ができる唯一の豊富な漁場です。
 ところで一九四七年米軍が沖縄を占領したした後は、この一帯において漁業が出来なくなり、漁民に多大な損害を与えた。このような漁業損失について、読谷村漁業組合(古堅宗和組合長)では、米民政府に対し一九五二年から一九六五年までの一三年間の漁業損失補償額五五万五〇〇〇ドル、その後の漁業制限補償額として、年間四万二七〇〇ドルの請求をしていましたが、アメリカ政府は一九七〇年十二月一四日に申請を却下しました。しかし、同漁業組合では却下の理由が不当であるとし、一月一三日に上告申請を行い、補償獲得まで団結して必ずかちとる決意をかためています。
 アメリカ政府は却下の理由として
(一)サンフランシスコ「平和条約」第一九条によって合衆国に対する一切の請求権が放棄された
(二)日本政府の漁業権を得ていても、琉球政府の漁業法ができた際に、同地域は現に漁業に使用できない地域だったから、同法による漁業権の付与はありえない。
(三)琉球政府の立法による漁業権の付与は、日本政府が与えた漁業権の更新ではない。とのべています。
 しかし、この理由が不当で漁業組合員を納得させることはできません。
 すなわち、平和条約第一九条で対米請求権を放棄したといっていますが、トンデモないことです。沖縄県民は一度だって請求権を放棄すると言ったことはありません。
 また、漁業権設定の申請をすれば認めたのに、何故申請しなかったのかとして、漁業組合に責任があるとしています。
 しかし、それも当たりません。当時の政府は、事前調整を理由として、申請すら認めなかった経過からも明らかです。
 軍事目的を優先するために漁民に損害を与えていることは事実です。その代償として適正な補償を支払うのは理の当然でありましょう。海は漁民の働く唯一の場所です。
 漁に従事するとき、漁師のひとみは生々と輝き、実にたのもしく見えます。
 残波岬の漁業権を与えという要求は、全村民の問題になったといえます。

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