読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1971年12月発行 広報よみたん / 6頁

さざなみ 眠れない夜

さざなみ 
眠れない夜 吉田順子
 暑くて長い夏はとっくに過ぎたけれども、このごろ私には眠れない夜が続いている。眠れない夜は、あれやこれやいらぬ考えが頭にうかび、ますます眠れなくなる。だれが名付けたか知らないが、眠れぬ夜の空想とは云い得て妙である。考えるから眠れないのか、眠れないから考えるのか、いずれが真実かさっぱりわからない。まったくくだらない疑問の堂々めぐりをくりかえしていると、隣の柱時計が三時を告げた。早く眠らなければ明日の仕事にさしつかえると思いながらあせればあせるほど雑念は渦巻き、目も冴えてくる。こんな経験はだれしも持っていると思う。
 どこか遠いところから、夜半のしずけさをやぶるかのように犬の声が聞こえてくる。細く弱々しく、心なしかさびしげな声である。親犬にはぐれた仔犬かも知れない。もしそうなら一刻も早く親犬のもとへたどりつくように・・・・・・と祈りたい気持ち。こんなとりとめもない思いに頭も心も疲れるといつの間にかうとうとしてきた。未明の四時から五時へかけて、朝の早い人がそろそろ床を抜け出すころになってやっと私は熟睡を得ている。八時間の睡眠に八時間の労働、そして八時間の休息、これが人間の一日の健康を支えるためのカギだと聞いたことがある。また、人間の睡眠は量(長)よりも質(深さ)だという学者の説もあるそうだ。いずれにしても、今の私はこうむつかしい理屈は抜きにして、毎夜スムーズな安眠を迎えたいだけである。
 不規則な眠りの結果、すっきりしない頭のまま朝を迎えると、その日一日じゅう何かしら陰々滅々と終りそうで、これではいけないと思う。爽やかな秋はまた夜も長い。夏の間の不眠の疲れを取りさるのに絶好の季節である。心を澄ましてせいぜい健康な眠りをたのしみたいと思うのである。琉歌
あわれそる時の、なさけちゅくとばや、千金にまさる宝ともて
たとい肝うちや、苦りしゃしちをてん、色見せてなゆみ、ゆすぬ人に。
テレビーのおかげ、あがとアメリカも、近くなて見ゆさ、み代の栄え

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