読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1973年1月発行 広報よみたん / 6頁

成人の日とわたし 渡具地出身 渡具知純子 20才の決意 宇座出身 仲宗根洋子 すばらしい20才 儀間出身 新垣美枝子

成人の日とわたし 渡具地出身 渡具知純子
 おめでとう、おめでとうと、肩をたたき、軽やかなリズムに乗って、両手を大空いっぱいにふりかざし、希望にみちた若人が今社会人として第一歩をあゆもうとし、人生のドラマがまさに今展開されようとしている。
 今日のこの日、全国には大人になる手形をもらい社会人として羽ばたく若人が幾千万人いて、わたしもその仲間の一人として今日この式典に参加している。
 しかし、わたし自身、成人としての実感がわくかと問われると、いささかとまどいの色をみせつつ「別に」としか答えることができない。
 なぜかというなら、十九才の気持と二〇才の気持は余り変りばえがなく、だから成人だという急激な心の変革にはとても切り換えることはできないでいるものです。
 しかし、二〇才になってわたしにも国から成人として認めてもらえた手形ともいうべく選挙権を手にしてはじめて、あっ、わたしも成人かと、よろこびをあらためて感じたものです。
 その気持は成人を迎える若人であればだれもが共通するものではないでしょうか。
 早く成人になりたい、成人として社会から認められたいと思っていたらつい先日いざ成人となって、うれしさと共に責任感や不安が先走る。人間生きているあいだでいろいろなことがあることでしょうけど、わたしにとっての成人、それは二度と迎えることのできぬすばらしい儀式であり、それに今までの自分に決して満足してなかったし、今のこの時を大切によろこびをかみしめ、今以上に行動力のある人として大人の仲間入りをし、自分の目で、手で、体で触れ、聞きながら人生の一ページを大切にして行きたいと思っています。
 成人を迎えた仲間の皆さん。共に頑張ろう、個々の道を歩みながら責任の持てる行動をしよう。これからの社会、世の中の動きに目をみはり若人の手で美しい郷土を作り、そして青春を明るく楽しく送りましょう。(イバノミート勤務)

20才の決意 宇座出身 仲宗根洋子
 今日成人式を迎えるかと思うと何か複雑な心持が致します。
 周囲の人達から今年二〇才ですね、おめでとう、といわれても妙な気持ちになるだけです。
 ありし日のおさげ髪をしていたとき、友だちと早く成人になりたい、そして大人の権利を取得したいと、よく話し合ったものですがいざこのように成人式にのぞんでみて物的な実感は感じない。
 高校を卒業して二ヶ年、仕事のつらさや人間関係など自分自身は正しいと思っていても大衆の中ではいろいろ複雑で、時には自分の理性を押さえなくてはならないことが数多くありました今後も前より以上にこのような難題が多々あることだと思い、社会人として成人した今日、もっと自分自身に心のふまえを持ち、力強く努力し大人の仲間入りしたいと思っている。
 しかし、今だに社会的なことになりますと、まだまだわからないことがいっぱいあるため不安です。
 けれども、うれしいことが次から次へと訪ずれて来るのも大人の特権ではないかとも思われます。
そのひとつに、成人になって初めて得た選挙権です。
 やはり政治をする人を自分で選ぶということは、社会に貢献できる一つの方法と、良き社会を作っていく大人の義務ではないかと思っています。
 そして私達がいかにそれを生かし得るかわかりかねないですけど、少なくとも私自身いろんなことに率直にぶっかり、自己の発言と行動に責任をもち、話せる人間に成長し、大人の仲間入りをしたいと思っています。(沖縄三協アルミ勤務)

すばらしい20才 儀間出身 新垣美枝子
 私は今、期待と不安の入りまじった複雑な心持で今日の成人式を迎えている。
 社会という大きな組織から一人前の人間として認められて、親に干渉されず、自由に生きていくという事が、本当は、厳しく、むづかしい、孤独であるというのを社会に出てわずかではあるけれどもわかるようになった。その一っに、自由という中で、一人の人間として選挙権が与えられ、それはうれしいというよりも、不安でいっぱいです。
 それは、自分の選出した人が、自分の生活に直結しているので、責任をともなうからです。
 また生存競争のはげしい社会で自分なりの希望と目的は持つべきだと思います。
 私は今、一つの「志」を持っていてそれを何とか成功させようと私なりの努力をしています。
 現在私は編物教室に通っていますが、最初の頃は楽しさいっぱいで、毎日の足どりも軽やかだったが、ちょっとした気のゆるみで自分の都合のいいような理由でさぼってしまう。
 そんな日々が続く中で物足りなさを感じて決意も新たにまた、通いはじめたのです。そして今は、個性に合った自分で作り出す楽しさを味わっています。
 私たちが生きている限り進む道は数えきれないほどあります。それをどう進むかは大きな冒険であり、どう選んだとしても多少の悔は残るものです。
 私は成人を自覚して、自分に最も合致した道を選び出し、私は悔のない青春を送るためにも明日という日より、今日という日を大切にしたいと思っています。(沖縄イソノ勤務)

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