成人としての決意 波平出身 知花俊治
読谷村では今年も三百八十余名の若人が成人として実社会に飛びかう。
私もその中の一人として十代のなごりおしさを心ゆくまで味わっている。
今日、この場の式典で新ためて成人になったのだという社会人としての自覚を力強く持ち続けて行かねばならないと決意を新たにした。成人だ成人だと会話の中で、マスコミで見聞し、変りばえのない自分自身に少なからずとも抵抗を感ずるものではあるが、これは只、肉体的、物的なものではなく社会人の一員としてのパスポートを得たものだと思い、また心身共に自分で責任の持てる人として、この式典でチャンスをつかむため、今日の式典を大切にして行きたいと思っています。 去年までは早くはたちになりたいと思っていたが、いざはたちに達した時、うれしさと不安が交錯した、この不安というのは今までの自分は自分の行動にあまり責任という物を感じられなかったし、成人という機会に自分の行動にはいつも責任をもち、今までの考え方ではいけないという自覚を感じさせられた。
今後は良き社会人として責任の持てる人間になるためいろいろな活動に積極的に参加して広く認識を高めたいと思っています。
最後に成人としての私の心のふまえとして、雑草のように踏まれても、くじけない毎日をすごして行きたいと思っています。(村役場勤務)
20才と私 古堅出身 池原恵子
私が現在の職場に就職して早や二年という幾月が流れた、その当時私は身も心も社会人だと思い、社会人として同等の扱いをなされた、だが悲しいことに、未成年だということば、はたちということばが胸の中に深くつきささり、今日のこの日の来るのを今か今かと待っていた。
だが、一月十五日、成人の日。・・・・はて、わたしが二〇才かと社会的厚みのあるはたちのことばに深いとまどいを見せている。
「恵ちゃん、おめでとう」と周囲からいわれて初めて我にかえり、はたちのとおとさ、成人のとおとさを身にしみて感じ、これからが社会への第一歩、大人への第一歩だと自分自身に強く言い聞かせている。
今までは、自分一人で大人だと背のびをしてみたけれど、これからが法的にも、社会的にも認めてもらえる反面、自分に対しての責任という重大さを感じているものです。
その一つが選挙権でありそれは自分が社会人としての一歩を踏み出すのに、この一票が自分に与えられた社会からのプレゼントのような気がする。
そのプレゼントを手にした時、嬉しいような、恐しいような、微妙な反応を示しどうしようもない複雑な気持がかりたてられる。
しかし、その一票を投じて初めて安度感にもにた笑みをうかべずにはいられませんでした。
二〇才という日を夢見て想像もしてみたけれど、これほどの責任感、緊張感は夢にも想像は出きなかったのです。
今自分という小さな一個の人間が白い羽をもらい、社会の渦の中に一歩足を踏み入れた自分自身、この白い羽をいつまでも汚さずにいたいし、これからの私達をあたたかい心で迎えてほしいと願い、二〇才の青春と夢をしっかりとつかんでいきたい。(読谷農協勤務)