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1973年7月発行 広報よみたん / 5頁

身近な問題をテーマに 第六回村婦人主張大会

身近な問題をテーマに 第六回村婦人主張大会
 村婦人会主催(会長知念トキ会長)第六回婦人主張大会が去る六月三十日午後二時より中央公民館ホールにおいて行なわれました。
 主張大会は婦人の身近に発生する問題点を深く掘りさげて婦人の立場から力強く主張していた。
 これまでの主張大会は婦人の政治意識の高ようを目ざして多くの発表者は政治に関連するテーマが多かったが、今回は、日常生活に直結する物価問題や公害問題とこれまでの主張大会に見られぬテーマが多く、主張大会は大盛況だった。
今大会の主張者は、
「テレビと家庭」知花サダエ(波平)。「物を大切にして物価高に対処しよう」玉城キク(座喜味)。「復帰一年の生活を顧りみて」棚原靖恵(宇座)。「花織講習会をかえりみて」、伊波ナエ子(伊良皆)。「進んで子宮ガン検診を受けよう」比嘉好子、(比謝矼)「人間関係について」、山内静子、(長浜、「公害について」、具志堅タケ(儀間)。

※写真「熱の入った婦人主張大会」は原本参照

第六回婦人主張大会から
進んで子宮ガン検診を受けよう 比謝矼婦人会 比嘉好子
 私は去年の夏の九月子宮ガンと診断され入院、手術、退院そして今日までいわゆる闘病の間に子宮ガンというものについて私なりに一つの信念を得たような感が致します。
 病名を診断された時のあの精神的なショック、手術までのおも苦しい不安な日々今から考えるとすべてが夢のようでございますがこのような自からの体験を通して「早期発見による治療こそが子宮ガン克服の最善の道である」。ことを確信しましたので私は敢えて「定期検診」を婦人の皆様に強調し訴えたいと思います。
 去年の八月十八日の朝ラジオ体操を終えて帰る時一婦人会員からその日の午後婦連による子宮ガン検診が村中央公民館で行なわれることを知らされました。
 前回は四十六年七月に受診しておりますのでその時から一年一ヶ月経過していることになります。
 その日、検診を受けた人は八二名だったようです。下着を取って検診台に上ることは最初はいやなものでしたが三回目ともなれび慣れたもので何の抵抗もなく検診台に上ることができました。今まで検診後約十日位で検診結果がハガキで知らされたものですが今回は九月に入ってもハガキが参りません。「どうしたんだろう」何か異状があるのではないか。しかし、別に出血したり、何の症状もないから何かの間違いではないか。半ば不安のまま、数日を過ぎますと、婦連から封書が届いているのです。
 覚悟はしていたものの心の動ようはかくせません。封を切るのももどかしくあけて見ると、医師の紹介状と中部病院で精密検査の必要があるとのことです。
 やはりどこか悪いんだな、しかし症状もないしたいしたことはあるまいと自分で自分にいいきかせ多少の不安を抱きながら中部病院の婦人科で精密検査を受けたのは九月八日でした。その日は、組織検査で体の具合についていろいろ医師から聞かれました組織検査の結果が判明する九月十八日に再び来院するようにとのことです。ガンだろうが、そうでないか、十日後に宣告されるのです。もしガンであったらと頭をかすめます。手おくれであったらどうしよう。二重、三重の不安が日をたつにつれ広がっていくのです。
 いよいよ断が下される日がやって参りました。忘れもしない九月十八日午後二時頃、私は、「子宮頸部ガン第一期」と宣告されたのです。突如目がくらみ、もうろうとして医師の先生の顔さえも見えません。何秒たった、先生の、「比嘉さん貴方は早期発見でよかったんですよ、たいしたことはありません、あさって入院して下さい。すぐ手術しましょう」の言葉に励まされ中部病院の門を出たものの医師の第一期というのが本当は手遅れではないかと考えバスの中でも涙がとどめなく流れて比謝矼をどう渡ったかわからない位でした。
 私の泣きはらした目、取り乱した態度で事の重大さを知った子供達も私にすがって泣きだしたのです。その夜は一睡も出来ず泣明かしたのです。
 翌日はガンと聞いてびっくりした親せきや友人が集まりいろいろ激励して下さったのがいくらかショックも和らぎました。ガン検診を受けたからこそ第一期で発見できたんだ、第一期は手術すればほとんど全快するとおっしゃった。(次号につづく)

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