読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1975年1月発行 広報よみたん / 3頁

新年のあいさつ 読谷村教育長 宮城伝三郎 謹賀新年 読谷村議会

なり、なにひとつとっても満足のいく年ではありませんでした。強いて気安めを申し上げるならば、日本内閣における混沌とした政情の中で私たちキビ作農家の要求した一万八千円の額には達しなかったが五十パーセント値上げの一万五千円の告示がなされたことは満足ではないがせめての気安めになろうかと思うのでございます。私たちは狂乱物資の異常事態を再認識し消費を美徳とする生活態度を、今こそ節約を美徳とする生活態度にあらためる時期にきていると思うのでございます。
 本村においては昭和四九年の年度頭初において色々な事業が計画されましたが、その中でも嘉手納村との合併、行政区の改善、農振地域、市街化地域の線引、返還軍用地の跡地利用計画等本村発展の基礎造りの最良の年になろうかと思っていましたが、残念ながら去る五月のアスファルト工場設置問題に端を発し、本村の村長以下幹部職員の方々が辞任するという最悪な事態が起り戦後、村民がかつて経験したことのない村政の混乱が起りましたが、このような村政の混乱した中にあって、村民の皆さんが冷静なご判断と深いご理解によって正常な村政を気道にのせることが出来ました。村民の心からなるご協力に対し敬意と感謝を申し上げるものでございます。 本村は現在、学校校舎、体育館、村道工事等が進められていますが、それ以外の計画事業については進展が見られない現状でごさいます。行政の遅れを早く取り戻し山積している諸問題をひとづびとつ解決していくにはやはり、行政機関と議決機関が一体となり村民のご協力によってのみ真の発展もあろうかと思うのでございます。本村議会においても激動する内外の諸情勢に対応するため最善の努力をもって議会の責務を果す所存でございますので村民各位の倍旧のご指導とご協力を賜わりますよう心からお願い申し上げ、最後に村民各位のご繁栄とご多幸を心から祈念し年頭の挨拶と致します。
 昭和五十年元旦

新年のあいさつ 読谷村教育長 宮城伝三郎
あけましてお目出度う御座います。昭和五〇年の新春を迎えるに当って御挨拶を申し上げます。去年は年度当初から石油危機の煽りを受けて物価の高騰に悩まされ何となくそうぞうしく過ぎて行ったような感がいたします。今年も海洋博が開催される年でありますので県内が大揺れるのではないかと懸念されますがこの世紀の大事業を県発展の起爆剤にしたいものだと思います。教育界に於いても去年は教育職員の人材確保に関する特別措置法の制定により教員給与の画期的な優遇措置が実施の段階に入った事や教頭職の法制化等教育界にとって極めて重要な法律が制定されました事はいろいろと問題はありますけれども教育界にとって今年は明るい希望に輝く年になりそうです。この新しい教育法の制定が立法の精神に沿って此ん後の学校教育発展の礎となるようにしたものであります。
 教育の基本は教師にあります。教育の成果は何と言っても直接教育にたづさわる教師の教育に対する情熱の如何に依ることは御承知の通りであります。
 私達の後ろをうけつぐ青少年の教育を預る私達は昭和五〇年の新春を迎えるに当り今年こそはといよいよ心を新たにし、より一層頑張りましょう。そして一人一人の児童生徒を大切にし、児童生徒の個性を育て、持てる能力を思う存分伸ばすよう頑張りましょう。
 山積する幾多の困難を自の力で克服して昭和五〇年こそは我々の家庭に又我が村に幸が訪れますよう祈念しつつ新年のあいさつといたします。

謹賀新年 読谷村議会
村議会議長 新垣秀吉
村議会副議長 伊波栄徳
村議会議員 知花繁治
 〃 〃 当山真市
 〃 〃 長浜宗繁
 〃 〃 大城行雄
 〃 〃 長浜宗安
 〃 〃 松田正義
 〃 〃 比嘉憲一
 〃 〃 知名定弘
 〃 〃 大城英三郎
 〃 〃 漢那朝章
 〃 〃 知念政仁
 〃 〃 比嘉義雄
 〃 〃 比嘉幸徳
 〃 〃 松田昌盛
 〃 〃 大湾哲彦
 〃 〃 池原安夫
 〃 〃 松田昌栄
 〃 〃 伊波勇一
 〃 〃 長嶺真一郎
 〃 〃 山内真永
事務局長 屋宜光正

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