読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1976年1月発行 広報よみたん / 4頁

写真で見る1975年の歩み

写真で見る 1975年の歩み

「読谷山花織県無形文化財に指定(3月27日)」
 その理由「芸術上の価値が高く芸術に資する技術として貴重であり、地方的特色が顕著」というもの。また、高志保出身の与那嶺貞さんについては「その技術を高度に体得している人」として技術保持者に認定された。
 尚、同花織の地場産業化をめざし「読谷山花織事業協同組合」が9月1日に結成され、11月13日付その認可を受けた。

「村立歴史民俗資料館堂々オープン(5月18日)」
 県下で初の村立歴史民俗資料館が護佐丸ゆかりの地・古城座喜味城跡のふもとに完成。同館には村内各地から約2,000点の民俗資料が寄せられている。
 この貴重な資料は村民の無言の師となり村民に誇りと自信を与え、本村の今後の文化創造に大きく寄与するものと信じている。

「第一回読谷村文化まつり(5月18日)」
 本村は民俗芸能の宝庫だといわれる。この歴史的民俗芸能を内外に広く知ってもらうため今後も「文化まつり」の位置づけを行なう。第一回文化まつりには悪天候の中5,000人の人々でにぎわった。

「第19回沖縄タイムス「自治賞」を受ける(7月1日)」
 「文化・福祉面における地域活動の業績」が認められ団体ではじめて「自治賞」を受けた。

「不発弾処理再開実力で阻止(7月12日)」
 2月21日昼さがり突然キーンという金属音をとどろかせ、古城座喜味城跡周辺に鉄の雨を降せた。かの大戦の悪夢を再現する光景である。これは米軍不発強処理場から飛散した破片で2キログラムにも及ぶカミソリ状のものが一帯の山林、果ては住宅近くまで飛散し地域住民を不安がらせた。
 その不発弾処理再開に山内村長ははじめ村民が「生命と財産を守る」立場で決起し実力で不発弾処理作業を阻止した(AM7時)。

「国勢調査本村人口24、245人(10月1日)」
 10年ごとに実施される国勢調査、旧年はその中間年に当る臨時国勢調査が実施された。結果、総人口24,245人、うち男11,853人、女12,392人、女100人に対する男の割合96人、人口密度703人、総世帯数5186世帯となる。
 これを前回昭和45年に比較すると人口で13.2%増加。世帯数は20.5%の増加率を見せた。

「トリー通信施設(古堅・渡具知地区の地籍確定調査の協定締結式(11月10日)」
 本村総面積の58%を軍用地が占めている。復帰以降4.4k㎡の返還軍用土地がありその大部分が境界不明。11月10日国・県・村が一帯となって地籍確定調査を進める協定が締結され、同月25日作業に入っている。

「教育環境の整備をめざし建築ラッシュ」
 本村は教育環境の整備に対する熱意はすさまじい。喜名・読谷幼稚園園舎建築をはじめ、渡慶次小学校体育館古堅中学校防音校舎の建築が続き良り良い教育環境づくりに努めている。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。