読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1976年10月発行 広報よみたん / 18頁

1975年9月号 18年ぶりに涙の対面 ボリビアから13名里帰り

 開拓に夢を託し南米ボリビア国に移民した村出身者一行十三名が去る七月十一日ボリビア国から郷土訪問団一行と共に十数年ぶりに郷土の土を踏み、肉親、親せきと劇的な対面をした。
 今度里帰りした村出身者は瀬名波出身の知花康盛(64歳)さんを最高齢者に十三名です。十三名です。
 本村からボ国へは一九五四年第一次ボリビア移民団の送り出しを皮切りに多くの村民が新天地を求め、ボ国に移民したが、ボ国の気候、風土、生活環境のちがいから永住を断念する人も続出し、現在では、第一コロニア、第三コロニアを中心に三十一世帯の村出身者が農業を営なんでいるという。
これらの村出身者は主に綿づくりと牧畜を営なんでいて経済的にも安定しているとのこと。各農家の耕地面積は平均畑十二万坪。年三〇頭飼育している。中には、畑一二〇万坪、牛二五〇頭飼育している村出身者もいる。移住地から町までの距離は四〇キロメートルと近く文化面にもめぐまれている。
 移住者の中には経営規模を拡大し、すばらしい農園造りに取り組んでいる者も多く希望にみちあふわるボリビア国だという。
 尚、一行は去る七月二十三日村役場を訪ずれ山内村長ら三役となごやかな懇談会を行なった。その中で山内村長は十数年ぶりにあう村出身者の当時の思影を偲ぶのに懸命だったが、数分後には「アネ・イヤーヤアマヌルヤテイ」と、方言で語り合うなど終始なごやかな懇談会を行なった。移住者の中には、沖縄の急テンポな変身にびっくり仰天している人もいて、当時を偲ぶのは数少く、まるで外国にでも来ているみたいだと語っていた。
 一行は、肉親、親せきの対面を終え八月中旬ボ国に向かう。

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