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1978年10月発行 広報よみたん / 10頁

中秋の名月の夜 十九年ぶり「忠臣護佐丸」を上演-字楚辺青年会-

 字楚辺区青年会(池原栄勇会長)では、去る九月十六日同区敬老会の場において史劇「忠臣護佐丸」を十九年ぶりに復活上演し会場のお年寄りを喜こばせた。組踊り「忠心護佐丸」は同区に古くから伝わる伝統芸能の一つ。昭和三四年以来途だえ消滅しかけていた組踊りを「古里のよさを見直し伝統文化を継承しよう」と青年会演劇サークルが中心となって一年がかりで復活上演に取り組んできたもの。
 この日の晴れの発表会は、おりしも部落敬老会の席上とあって、特設舞台を設けた同区グラウンドには早々と老人、区民が押しよせ場内は一千人余りの人で埋っていた。
 老人たちは、久々にみる組踊りの復活上演に「ヒタイヒヤーンマガヌチャー」とヤンヤの拍手を送っていた。役者もその期待に応えようと、中秋の涼しい夜空にあって額に大きな玉汗を浮べての熱演。舞台、観衆一体となって復活上演された「忠臣護佐丸」は成功裡の中で幕を閉じた。
 また、この日は「中秋の名月」その前夜とあって澄みきった夜空の中でごうごうと照り輝く名月の明りは格好のスポットライト代用となり、舞台効果を一段と明るく浮き立たせ忠臣護佐丸の上演にふさわしい月夜の晩であった。
 忠臣護佐丸の復活に際して演出を担当した池原繁行君は「護佐丸は我が村ゆかりの歴史上の人物あり、祖先から受け継がれた伝統芸能を正しく継承しこれを永代に伝える趣旨で復活上演に取り組んだ。当初は、史劇の沿革を熟知するのに一苦労だった。史劇ゆえ時の人になりきれないと役柄をこなすことは所栓無理なことであり、その役柄と組踊り特有の発声をマスターするのに苦労の連続だった。失敗をくりかえす中で役者みんなが郷土の文化を正しく継承しようという意気込みがみなぎり、一年がかりで復活上演することができた。今夜は最良の日ですと口早やに語っていた。
 また、比嘉順繁区長は「青年達が自主的に復活上演に取り組まれたことに感謝する。今夜の上演は、お年寄りにとって何よりもかえがたい心のプレゼントになったと思う。これからも郷土の文化を継承していってほしい」と語られていた。
 (写真)十九年ぶりに復活した字楚辺区の「忠臣・護佐丸」青年たちによって復活上演され郷土文化は正しく継承されゆく

※写真は原本参照

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