感想文 「悲劇の少女アンネ」を読んで 渡慶次小五年 山内あゆみ 感想絵「すっとびこぞうとふしぎな国」 渡慶次小3年 津波さゆり わたしのおこった顔 渡慶次小4年 よなはさつき お友だち 渡慶次小3年 玉城良治
子ども達が自由に活用できるページをつくりました。
このページはこどもたちの話題、作文、図画、マンガ笑話など何んでも紹介できるページです。どうぞご利用下さい。又一報下されば広報マンがかけつけます。こども達の身近かな話頭をお寄せ下さい。
TEL-2216 広報担当まで
「悲劇の少女アンネ」を読んで 渡慶次小五年 山内あゆみ
わたしは、アンネが、どんなにひどいきょうぐうに追いつめられても、常に希望を失わず、明るく、正しく生きていった姿に、人間のほんとうの勇気を発見した。
アンネ、どうしてあなたは、ユダヤ人として生まれてしまったの。もし、ユダヤ人として生まれなければ、あんなに苦しい思いをして、かくれ家でくらさなくてもよかったし、死ななくてもよかったのに。でも、一番悪いのは、ヒットラー首相の率いる軍隊だ。
ヒットラーは、おさないころ家が貧しかったので、母親は毎日質屋に通わなければならなかった。その質屋の主人というのが、欲の深いユダヤ人だったから、ヒットラーは深くにくむようになった。それにしても、ヒットラーはひどすぎる。ヒットラーが仕返ししてやるのは、質屋の主人でもうたくさんじゃないか。
それなのにヒットラーは、罪もない人々を六百万人も苦しませ、ユダヤ人は電車にも車にも乗ってはいけない。そしてこの店からは食料を買っていけないもし、このことをやぶったら、その場で死の収容所行きと固く決まりを作ったのだった……。
そして、あげくのはてには、ユダヤ人全部が全部を収容所に集め、ガス室に送りこみ、たくさんの人を殺したのだった。わたしはこのところを読んでいるうちに、ヒットラー、許せない絶対に許せないと感じて来た。
アンネは、勇気だけの持ち主ではなかった。そのころは、まだ出版されなかったが、アンネは童話も作っていた。
主な作品を三つ紹介しよう。「フルーツタルトの女の子」、「私はようせいのエレン」「子ぐまブラリィ君のぼうけん」だ。
それぞれの作品を私は読んだが、どれもみな心あたたまる童話だった。この童話は、実はみんな、あの苦しいかくれ家で書いたものだった。私は、アンネよくもあのかくれ家で、あきもせず童話を書いたなと感心した。
私は、私自身の感動を書いたが、外にも感動するところはまだまだいっぱいある。それくらいアンネは、勇気と希望の持ち主なのだ。
アンネの死んだ時の顔は、どんな顔だったのだろう。私はきっと悲しい顔だと思った。しかし、アンネの顔は、明日遠足に行く子どもみたいな笑顔だったのだ。私は、そのところを読んだしゅんかん涙が出てきた。
「最後まで希望を捨てなかったのね。」私はそう語りかけた。
アンネフランク、私はあなたのその生き方を読んで、もっとあなたのことが知りたい。
あなたがかくれ家で、死の恐怖におびえながら、一生けんめい書いた「アンネの日記」を、静かに読みたいと思う。
感想絵「すっとびこぞうとふしぎな国」 渡慶次小3年 津波さゆり
わたしは、太郎君が、野原で一人ぼっちになって、すっとびこぞうは、いまどこにいるか考えていたら、すっとびこぞうがとんできて、太郎君に、とびついて、歌をうたったり、話をしているところが、おもしろかったです。
「わたしのおこった顔」 渡慶次小4年 よなはさつき
わたしのおこった顔はとってもブスでしょう?ほんとうはとてもかわいいのよ。……ネェ
「お友だち」 渡慶次小3年 玉城良治
※写真「山内あゆみ」、「津波さゆり」、「玉城良治」、「よなはさつき」、絵「すっとびこぞうとふしぎな国」、「わたしのおこった顔」、「お友だち」が返本参照