読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1978年12月発行 広報よみたん / 7頁

感想文 「悲劇の少女アンネ」を読んで 渡慶次小五年 山内あゆみ 感想絵「すっとびこぞうとふしぎな国」 渡慶次小3年 津波さゆり わたしのおこった顔 渡慶次小4年 よなはさつき お友だち 渡慶次小3年 玉城良治

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「悲劇の少女アンネ」を読んで 渡慶次小五年 山内あゆみ
 わたしは、アンネが、どんなにひどいきょうぐうに追いつめられても、常に希望を失わず、明るく、正しく生きていった姿に、人間のほんとうの勇気を発見した。
 アンネ、どうしてあなたは、ユダヤ人として生まれてしまったの。もし、ユダヤ人として生まれなければ、あんなに苦しい思いをして、かくれ家でくらさなくてもよかったし、死ななくてもよかったのに。でも、一番悪いのは、ヒットラー首相の率いる軍隊だ。
 ヒットラーは、おさないころ家が貧しかったので、母親は毎日質屋に通わなければならなかった。その質屋の主人というのが、欲の深いユダヤ人だったから、ヒットラーは深くにくむようになった。それにしても、ヒットラーはひどすぎる。ヒットラーが仕返ししてやるのは、質屋の主人でもうたくさんじゃないか。
 それなのにヒットラーは、罪もない人々を六百万人も苦しませ、ユダヤ人は電車にも車にも乗ってはいけない。そしてこの店からは食料を買っていけないもし、このことをやぶったら、その場で死の収容所行きと固く決まりを作ったのだった……。
 そして、あげくのはてには、ユダヤ人全部が全部を収容所に集め、ガス室に送りこみ、たくさんの人を殺したのだった。わたしはこのところを読んでいるうちに、ヒットラー、許せない絶対に許せないと感じて来た。
 アンネは、勇気だけの持ち主ではなかった。そのころは、まだ出版されなかったが、アンネは童話も作っていた。
 主な作品を三つ紹介しよう。「フルーツタルトの女の子」、「私はようせいのエレン」「子ぐまブラリィ君のぼうけん」だ。
 それぞれの作品を私は読んだが、どれもみな心あたたまる童話だった。この童話は、実はみんな、あの苦しいかくれ家で書いたものだった。私は、アンネよくもあのかくれ家で、あきもせず童話を書いたなと感心した。
 私は、私自身の感動を書いたが、外にも感動するところはまだまだいっぱいある。それくらいアンネは、勇気と希望の持ち主なのだ。
 アンネの死んだ時の顔は、どんな顔だったのだろう。私はきっと悲しい顔だと思った。しかし、アンネの顔は、明日遠足に行く子どもみたいな笑顔だったのだ。私は、そのところを読んだしゅんかん涙が出てきた。
 「最後まで希望を捨てなかったのね。」私はそう語りかけた。
 アンネフランク、私はあなたのその生き方を読んで、もっとあなたのことが知りたい。
 あなたがかくれ家で、死の恐怖におびえながら、一生けんめい書いた「アンネの日記」を、静かに読みたいと思う。

感想絵「すっとびこぞうとふしぎな国」 渡慶次小3年 津波さゆり
 わたしは、太郎君が、野原で一人ぼっちになって、すっとびこぞうは、いまどこにいるか考えていたら、すっとびこぞうがとんできて、太郎君に、とびついて、歌をうたったり、話をしているところが、おもしろかったです。

「わたしのおこった顔」 渡慶次小4年 よなはさつき
わたしのおこった顔はとってもブスでしょう?ほんとうはとてもかわいいのよ。……ネェ

「お友だち」 渡慶次小3年 玉城良治

※写真「山内あゆみ」、「津波さゆり」、「玉城良治」、「よなはさつき」、絵「すっとびこぞうとふしぎな国」、「わたしのおこった顔」、「お友だち」が返本参照

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