読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1979年1月発行 広報よみたん / 6頁

やくしん昭和54年 我らが生れ年 はちトシビー13歳 新春をデッカク語るその抱負 新年を迎えて 喜名小五年 与久田千秋 生年祝いを迎えて 読谷小五年 桑江淳 私のゆめ 古堅小五年 小橋川晃代 新年の希望 渡慶次小五年 金城繁雄

やくしん昭和54年 我らが生れ年 はちトシビー13歳 新春をデッカク語るその抱負
 残雪の山あいをぬって、果てしなく広がる緑のジュータン。その上を、純白のひつじの群れが跳んだりはねたり…その光景は、まさにのどかで牧歌的な情景です。
 ところで、今年の干支は……そうです「羊年」です。輝かしい新春を迎え、今年こそ飛躍の年でありますようにと「ひつじ年」に願いを託する人も多いことでしょう。
 ”一年の計は元旦にあり”ともいいます。元旦のさわやかな日の出、昭和五四年「広報よみたん」新年号は、羊年生れの十三歳のお友達に登場してもらい、一巡した干支を契機に、希望に燃ゆる「その抱負」をデッカク語ってもらいました。

新年を迎えて 喜名小五年 与久田千秋
 私は、十三祝を迎える年になった。でも、何だが不安でならない。それは、体つきは大人ににていても、心は、大人にまだたりないからです。頭だって同じです。それに、家での生活、学校での生活を、ふりかえってみると、へまをやったり、注意されたことをわすれたり、どっちかというと、良い方より悪い方のことが、多いような気がします。それが、不安なのです。
 十三祝をするのだから、へまも少しずつなおって、注意されたことも、わすれないようになるだろうかと思い、大きな希望をもたなくては、と考えます。でも、やっぱり少し不安です。十三祝を迎えたくなくても、どうしても、迎えなくてはいけません。それで、初めに思ったことは、自分の欠点をなくそうと考えました。それは、人には、だれにでも欠点は、あるけど、少しでも、それをなおすと、何となくいい感じがすると思ったからです。次に、何事も、積極的にやろうと思います。それは積極的に何でもやらないと、自分がそんをするような気がするからです。でも、今まで、なぜ気がつかなかったのだろうと思いました。いや、気がついてはいたけれど、積極的にするのがはずかしかったのかなあ。とあとで反省することもあったからです。それに、いつも自分というものについて反省することは何か一つぬけているような気がするのです。それはきっと、自分の欠点である消極的な態度が原因だったのでしょう。
 今年は、羊年で私たちの年の番です。小学校最上級生になる年でもあります。自分の行動に責任をもち、下級生をいたわりよい姉さんになるように、努力しようと思います。不安な気持ちをおさえ、勇気をもって、何事もやっていきたいと考えています。

生年祝いを迎えて 読谷小五年 桑江淳
 「淳も、もうすぐ生年祝いだね」。ある時、急に母が言った。生年祝いって何だろう。ぼくは意味が分からなかったので、
「お母さん。生年祝いって何ですか」。と聞いてみた。「生年祝いっていうのは、生まれた年を祝うことなんだよ。「ね」「牛」「とら」っていうのがあるでしょう。来年は羊年だから淳たちの生年祝いだと言うわけ」。母が説明してくれた。
 昔からのならわしで、かぞえ年というのがあって、十三歳のお祝いをし、十三年目ごとにめぐってくるお祝いだそうです。
 母の話しを聞いて、十三歳になったらもう一人前になるのでぼくも、自分で善悪のはんだんをして、りっぱな生徒にならなければと思った。
 ちょっぴり、お祝いをするのが、はずかしいような、いやなような気もするが、何年か前に兄や姉の合同祝いで楽しくやっていた事や、たくさんの親せきからお祝いをもらったと思うとぜひやりたいという気になる。でも、お祝儀のことだけ考えてなんの決意もないと、親せきの人たちに悪いので、だれのめいわくにもならないで、自分が正しいと思ったら、最後までやりとおせる子になりたい。

私のゆめ 古堅小五年 小橋川晃代
 社会見学の時、バスガイドさんが、「みなさんは、将来何になりたいですか」。と聞かれた。
 私は、とまどって手を上げませんでした。三年生の頃は、医者になりたいと考えていました。
 それは、ある日、おばあさんといっしょにお医者さんの所へ行ったら、たくさんのお客さんが長い時間寒々と待っていたので、「よく、私が医者になって早くみんなの病気を治してやろう」。と思ったからです。そして、しばらくは、毎日医者になる日をゆめ見ていました。
 しかし今になって、あまりそういうことを考えないようになりました。最近は勉強も大事だけど、ピアノや習字などの特技も身につけたいと考えはじめたのです。バスガイドさんに聞かれてまた考え直してみました。私はやっぱり三年生の頃に考えた事が一番いいと思いました。
 読谷村には最近都屋に診療所が一つ出来ただけです。それまでは病院は、一つもなく無医村だったのです。ですから、病気になったお年寄りや赤ちゃんは夜中からでも嘉手納や沖縄市まで行かなければならない有様でした。私は、この実態を見て早く読谷村に親切な病院をつくりたいと思います。そして村民全体が健康で明るい生活ができるようにしたいと思います。
 それから私は、あまり自分が正しいと思ったことをやりとおすことができませんでした。これからは、勇気のある人になりたいです。それに、体育もあまりじょうずでないので、体をきたえて、目標に進んでいきたいと思います。

新年の希望 渡ケ次小五年 金城繁雄
 新年の希望、まず、一つの希望は「日本習字」の進級をめざしてがんばりたい。去年はまだ一級も上がらない。ぼくはなぜ上がらないか、反省して考えてみると、いつも出す前の日にしか、かかないからとわかった。深く反省し、今年はがんばろうと決心した。
 第二の希望は、たくさんのスーパーカーを見たい。ぼくは、カーマニアで、日本の車や外国の車に興味をもってから、早くも二年目だが、外車のスーパーカーは、あまり見たことがない。だから、どこかへ出かける時はいつも目をきょろきょろさせながら、外車が通るのを、まっています。通らなかったら、がっかりする。
 第三の希望は、船や飛行機で本土へ行くことです。

※写真「与久田千秋」、「桑江淳」、「小橋川晃代」、「金城繁雄」は原本参照

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