やくしん昭和54年 我らが生れ年 はちトシビー13歳 新春をデッカク語るその抱負 十三歳になって 読谷小五年 仲本まゆみ ぼくの夢 古堅小五年 幸喜俊 新しい年へのスタート 渡慶次小五年 知花光夫
〔228号8ページの続き〕
十三歳になって 読谷小五年 仲本まゆみ
先生から十三祝についてのお話しを聞きました。昔の十三才といえば大人の仲間入りだったそうです。今の私には考えられないほど昔の人は、しっかり者だったんだなあと思った。私達は、生まれてから十三年間、両親の手で育てられた。そのうえ身のまわりの仕事一切は、母がやってくれているのだ。私は先生の話を聞いているうちに、はずかしくなってきた。昔の女の人にとって、すいじ、洗たく、おそうじなどは、あたりまえの事にすぎなかったという。私は家事の仕事は、母の役目だとばかり思っていた。つくづく反省させられた。いや、それよりも両親に対する感謝の気持ちがたかまってきた。お父さん、お母さんありがとう。
もう十三才だ。目標をたててがんばっていきたい。これからは、たえず行動を反省し、行なった行動に対しては責任をもち物事を進めていきたい。そして人にめいわくをかけずいつもやさしい気持ちで接しいつも相手の立場になって物事を考えるようにしょう。
生活の中ではまず身のまわりの事から実行していきたい。ガラスふきやおわん洗いの手伝いも毎日続けよう。自覚と責任をもって、楽しく明るい学園生活を送りたい。
ぼくの夢 古堅小五年 幸喜俊
よし、大きくなったら医者になって病気で苦しんでいる人達をたすけてあげよう。
ぼくは、かぜをひいたり、他の病気にかかると池原のおじさんの病院にいって治してもらう。するとどんなにひどかったかぜでも治る。そういうとき、医者がとてもかっこよく思える。
まん画を読んでいると難病をなおす奇跡の医師などもでてくる。それからニュースをみているといままでの医学ではなかなか治せなかった心ぞう病や脳の病気の手術に成功したという明るい話も耳に入いります。その時ぼくはその手術によって救われた人が何人もいるのだろうと医学の進歩をことさら自分の希望と結びつけて考える。いろいろな仕事があるけどその中で一番すばらしい職業が最近医者だと思えてならない。なぜならこの世の中で一番尊い命というものを救う仕事だからである。
だけどただ医者になろうなろうといってもそう簡単になれるわけがない。一生けん命勉強しないからにはなれるはずがない。池原のおじさんはぼくのお母さんのおにいさんなのでお母さんがよくおじさんやお母さんのちいさかったころをはなす。おじさんたちのころは、医者になろうにも第二次世界大戦後で、ろくに学資も出せず勉強もアルバイトをしながらやったと聞くから満足に勉強もできなかったはずだのに、あんな立派な医者になっている。その点ぼくは、バイトなんかしなくてもいいし、ひまもたっぷりある。だけど勉強はいやだ、なんぎだという心があるので医者どころか人並の職業にもつけないかもしれない。勉強机に向かうと必ず将来のことが頭の中にうかび上がってくる。先生は、五年からが勝負だという。がんばって今は治せない気にかかって苦しんでいる人達を助けてやるぞと決心をあらたにした。
新しい年へのスタート 渡ケ次小五年 知花光夫
五年の始め、さわやかな春の風にふかれて新しい教室へ入った。新しい先生、友だちにかこまれて、喜びがむねいっぱいふくらんで来るのを感じた。今年は、何事をも最後までやりとげようと、心に強く決めた。四年生の時までは、自分がうまくやれなかったことがあったりしたら、半分から投げだしてしまうことがあったからだ。
ぼくは、目標に向かって努力した。にがての図工、計算問題も目標を達成するために最後までちゃんと仕上げた。また、もう一つの目標に本をたくさん読むことだった。去年は二十一さつも読んだ。とくに、心に強くうたれたのは、大岡越前でした。
越前は今まで身分の高い人しか住めなかったかわらやに、身分の低い人でも住むことを許した。また、その当時は、ほとんどの人が木と紙でつくった家に住んでいたので、火がつくとたちまちもえ広がった。それで火消し組をつくるのを進めたのも越前だった。人は皆公平にすべきだという考えに心がうたれた。
ことしは、いよいよぼくたちの年、羊どしだ。今年やりたいことは、今より、もっと読書することだ。特に伝記や歴史の本を読みたいと思う。
※写真「仲本まゆみ」、「幸喜俊」、「知花光夫」は原本参照