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1979年5月発行 広報よみたん / 2頁

村立診療所 開所から一周年迎える 村民の医療施設としてすっかり定着

村立診療所 開所から一周年迎える 村民の医療施設としてすっかり定着
 我が村にも医療施設の建設を-。と長い年月にわたり村民が等しく待ち望み、昨年五月二十五日に開所した「村立診療所」は、ここに一年目を迎えようとしています。
 開所当所は蕪木多津を女医中心に看護婦三名、臨床技師一名。事務局員二名、計七名のスタッフでスタート。診療所運営に当ってきました。だが、村民の健康管理に対する熱意は高く外来患者は日増しに増加する一方。当初予測していた人員をはるかにオーバーし、患者さんの待合いロビーはいつもいっぱいです。
 こうした中で、昨年度途中レントゲン技師・薬剤師各々一人を臨時職員として採用、その対応に当ってきました。(今年度②職種を試験採用)。
 村立診療所開所以来過去七ケ月間における月別米所患者は、最も多い月で二、三三八名。少ない月でも、一、七六〇名。一日平均八十四名という患者数(延人員)です。この数値は当初予測患者数の二倍近い人員であり、診療所スタッフはテンテコ舞いする程、多忙きわまる毎日だという。
 とかく開所以来患者数は日を追って増加しているのが実情のようです。このことは、やはり村民の病院だという意識の強いのと共に、病気の早期治療及び患者さんに対する蕪木先生の丁寧な診療、そしてその早期効果といった四拍揃った好条件が診療所の玄関を潜る大きな要因となっているようです。良い先生、良い施設と云うことは口コミでもって他市町村にも伝えられ、遠くは石川市内からも患者さんが訪れるといいます。
 蕪木先生は村立診療所開所と同時に赴任なされ、読谷村民となりきって一般診療に取り組まれています。その中で、患者さんとの語らいの中で診察献身的な先生の診察は定評があります。中には、定期的に通う患者さんも多く「先生の顔を見るとウソのように病気が治るみたいです」。と冗談とも本音とも聞こえる程に信頼されています。一方、蕪木先生は「薬治療法も大切だが、独者さんとの信頼関係を保つことも病気の早期治療に続がるものです。心と心で接し合えば痛いはふっ飛びます」。と話していた。
 しかし、先生にも悩みの種が一つある。それは、村内であっても地域によって方言が違うこと。少々の方言は聞き取れるが特にお年寄りのクセのあるアクセントにはどうも苦手のようで、中には通訳を必要とする患者さんもいるようです。これには、さすがの先生でもマイッタでござる。と一言付け加えていた。
 蕪木先生は東京都の出身。木村に赴任する以前は石垣市の夜間診療所に約一年間勤務なされていました、その前は昭和二五年から昭和五一年まで二六年間日本政府総理府診療所に勤務され、その間、故・佐藤・田中・三木の歴代三代の総理大臣はじめ他職員の健康管理にご活躍された経験豊かな先生です。また、昭和三六年日本医科大学より「医学博士」の学位称号も受けていらっしゃいます。

一日に八四名の患者を診察
 ところで先に診療所事務局が総めた「診療所運営状況」によると、昨年五月二六日開診以来十二月末までの診療件数人員は一万四千五百七十二名(延人員)一日平均約八四名です。月別で見ると艮も多い月は八月で二千三百三十八名。少ない月は六月で一千百六○名です診療件数は過去七ヶ月間において一月平均二千名内外推移しています。
 また、六歳未満と六歳以上とに区分してみると、六歳未満は一、八八五名。六歳以上では五、九二三名となっています。中でもお年寄りの患者の比率は割と高いようです。
 次に診療科目別に見ると最も多いのが内科で四、七二六名。外科で一、一九四名。皮膚科で七三七名。以上が診療ワーストスリーとなっています。ことに内科では全体の六○%を占めているのが特徴のようです。診療所は専門医学的のみ専念するここなく、外来患者はすべてその身になって診療に当たらなければならないのが診療所の特徴です。中には、耳鼻科・眼科などの患者さんもいます。
 とかく一年目を迎えようとする村立診療所は、私たち村民の悲願の実りであり「村民の診療所」とすっかり定着しています。健康第一に病気の早期発見・早期治療に努めましょう。その中でさつき晴れの澄みきった青空のもとで大きく背伸びできる「さわやか健康」丈夫な体を作りたいものです。
 (写真)上 子供にはやさしく老人には親切にわかり易く診察し各々の患者さんから「やさしい先生」と好評。 下 待合室はいつもいっぱい。一日に平均八四名の患者さんが診療所を訪れるという。口コミで村外からも患者さんが来るという。

※写真は原本参照

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