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1979年5月発行 広報よみたん / 5頁

100トン農家二十五名誕生 総生産高二五、四六七トンさとうきび収穫完了を祝う 多収穫ベストテン

100t農家 二十五名誕生 総生産高二五、四六七トン さとうきび収穫完了を祝う
 読谷農協(玉城真順組合長)では去る四月二十一日午後四時から農産物集荷場でウージマンサングワー(満産祝)を開いた。
 これは、今期さとうきび収穫の無事終了を祝うと共に来期の増産を祈願するねらいで開かれたものです。満産祝には村内多数のきび作農家が出席。席上、玉城組合長は「今期さとうきび収穫無事完了をお祝申し上げます。今期きび搬出期は例年なく悪天候の連続で、ご苦労されたかと思います。にもかかわらず指定期日搬出したことはそれぞれ農家の心意気だと思い深く感謝申し上げます。来期は今期以上の増産に取り組んで下さい」。とその労をねぎらっていた。また、百トン以上多収穫生産農家には表彰状を贈り、尚一層の生産意欲の向上を盛り立てていた。
 一月十八日分ら開始された今期さとうきび原料搬出作業は四月十五日をもって無事完了。その間、きび作農家は老いも若きも家族ぐるみで最大動員。一年中で最も多忙きわまる九〇日間であった。
 先に読谷農協が総めた今期さとうきび生産高実績を見ると、昨夏の天候不順等のアクシデントに伴いかなりの減収が予想されていたが、作付面積の増大により、昨年期実績より約一千五百トン多い二万五千四百六十七トン。約六%の増収実績となった。中でも百トン以上多収穫生産農家が二五戸も誕生。大きな話題となった。
 近年の農業見直しは周知の通りだが、ことに我が沖縄の基幹作物であるさとうきび作付面積の増大は著しい。本村においても昨年期より二四万坪増大し、その面積は一二三万坪に達した。この面積は村内耕作面積(一八○万坪)の六八%を占めるものであり、新植夏植きびを加算するとその割合は一段と高くなる。
 一方、総生産高について見ると、最大生産期を誇っていた昭和四〇年~四一年期の八○%に急迫する勢いであり、きび作農業に対する見直しはかなり進んでいるものと思われる。しかし、生産戸数となれば当時に比べ著しい減少を示し、今期生産戸数は九四八戸。このことは、他きび作農家の規模拡大に結びつき、ちなみに当時の一戸当り生産高は約十四トン。今期は約二倍の二六トンになっている。
 次に字別で見る生産高ベストスリーは以前として波平がトップの座を占め約三千六百九トン(一四五戸)。二位は座喜味で三千一百十八トン(六七戸)。三位は宇座で二千九トン(六二戸)である。上位三位の一戸当り平均収量は宇座の四三トンを筆頭に座喜味の四一トン。波平は生産戸数が多くその平均は二三トンである。一方、来期の生産予測を見ると、村全体では三万トンの生産予想である。その目標突破となれば実に十五年ぶりの偉業となり、来期の生産高が早くも注目されている。農協関係者では「肥培管理を充分にし、天候不順がなければ決して夢ではない」。と話していた。また、座喜味地内前田原一帯の新植夏植(農村基盤総合整備事業地区)の生産予想高も大きな話題となり、三万トン達成のカギを握る大きなポイントになるのではないかともっぱらの噂さ。事の次第によって二百トン農家、四千トン生産部落誕生。部落別上位順位の入れ代え、といった話題がほどよく酌み交される酒の勢いにのって、マンサングワーの席上は華やかさいっぱいだった。
 次に個人別で見ると百トン以上生産者が、二五名誕生したことは大きな話題となっている。きび作農家にとって「百トン生産」ということは一昔前まで「夢」とされていた。しかし、ここ数年代続々と百トン農家が誕生。他きび作農家へ大きな刺戟となっている。
 百トン以上生産者を字別で見ると宇座の八名に続いて座喜味六名。楚辺四名。大木・瀬名波各々二名。波平・高志保・渡慶次それぞれ一名となり、七〇トン以上百トン未満が三七名。四〇トン以上で一八四名となっている。次に今期生産高の反収について見ると、昭和五〇年~五一年期以来続いていた反収七トンの壁はおしくも崩れた。今期の反収は昨年期より一トン少ない六・二トン。やはり昨夏の異常気象が減収の要因となった。しかし、反収については地域差、個人差があり、徹底した肥培管理をすれば反収の増大を計れるものだ。と収穫後の肥培管理の強化を呼びかけている。特に今期夏植収穫後の株出状況は極端に悪い地域があり、補植もしくは更新等で増産体制を整えようと呼びかけている。
 尚、今期多収穫ベストテンを左表の通り紹介します。

※表「多収穫ベストテン」は原本参照

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