読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1979年5月発行 広報よみたん / 6頁

読谷の文化財 №4 喜名番所

読谷の文化財 No.4 喜名番所
 喜名番所は、国道五八号線(旧一号線)喜名バス停の東側に福木で囲まれた一二五六坪の敷地であった。
 沖縄に駅(番所)が設けられたのは、尚巴志の時代で、永楽年間(一四○三~一四二四年)に喜名番所が設けられたかどうか定かなるものはないが、一七一三年に編纂された「琉球国由来記」に喜名番所があったことが記載されていることから一七一三年以前に喜名番所が設けられていたことは明らかである。
 番所の建物は、約四○○㎡の広さで役場兼宿場の性格を備え、那覇から国頭への宿次としての交通の要所であった。一八九七年番所を間切役場に改称、さらに、一九○八年読谷山役場と改められ、番所時代の敷地に昔からの建物を修理増築して、戦前まで役場として村民に広く利用されていた。戦後三○年荒廃した喜名番所跡を文化財にという声が高まりつつある中、国際海洋博のための道路拡張工事は論議の的となったが、旧一号線道路の東側、ちょうど喜名番所跡の中央を横切ることになった。ただ昔も今も交通の要所であることにかわりはなく、西側に当時の石積の正門や石垣、「読谷山村道路元標」としるした標柱、東側の屋敷囲いの福木にわずかながら番所跡の原型をとどめている。

※写真は原本参照

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