ひと足はやくしめやかに合同慰霊祭-字喜名区-
字喜名区(波平彰区長)では去る五月三〇日午後三時から同区慰霊の塔においてしめやかに合同慰霊祭がとり行われた。
この日の慰霊祭には村内外からも多数の遺族が参列「やすらかにねむる御霊」への焼香が続いた。あれから三十数年経過したといえ、あのいまわしい戦争の爪跡は遺族の心の奥深くきざみこまれ、焼香する遺族の目には大きな涙がにじみ出ていた。ことに杖をささえに焼香する老婆の目には二度と過ちを犯してならない平和への祈りが込められ、目頭を押える姿は醜い戦争の悲惨さを思い起こさせていた。
また、波平区長は弔辞を読み「悪夢のようなあのいまわしい戦争を二度と繰り返さないよう諸霊に対し、決意も新たに恒久平和を進めていく」と誓いの祈りをしていた。
同区のひと足早やい慰霊祭は戦後まもなく始められた。すべての遺族が参列できる日、この日が五月三〇日であった。このことについて波平区長は「五月三〇日という日は当時米軍の慰霊祭があり軍雇用員は休みだった。みんなが参列できる日が部落でも慰霊祭を行う日となり今日まで受け継がれている」と話していた。
同区には二つの慰霊の塔がある。その一つは「さくらの塔」と呼び同区出身者の御霊が祀られ、もう一つは「れいごの塔」と呼び無名戦没者が祀られている。れいごの塔には七〇四柱が納骨されていて、一部を除き無名の御霊だという。
同区の慰霊祭は無名戦没者の供養も同時に行われ、温かく祀られている。また、この地で戦死されたとする村内外の遺族も同区の慰霊祭には参列し献花・焼香をし安らかにねむる英霊に深い祈りを捧げている。