読谷の文化財 №5 比謝橋
比謝川は延長約一四キロ、その下流は読谷村と嘉手納町との境をなしている比謝川にかけられた橋であるが、いつ頃かけられたのかその年代は不明である。当初板橋であったが一七一六年に石橋に改修、石橋は石工技術の枠を集めてかけられた五連の石造拱橋(アーチ)で幅二間ほどの美しい石橋であったといわれている。その両岸流域は、険峻絶景で山柴水明の中を山原船がゆきかうなど、風景絶佳は、史蹟名勝地として戦前の沖縄八景の一つに指定されていた。
又、比謝橋河畔に小牛市場や村屠殺場もあり、家畜商でにぎわったところでもある。比謝橋は、天才的女流歌人として知られる吉屋チルーとも関連深い。吉屋チルーは慶安三年年(一六五○)読谷山間切りの久良波村の新垣屋に生まれたといわれている。家庭が貧困なため那覇の遊廓に身売させる吉屋チルーが途中比謝橋にさしかかった時、
”恨む 比謝橋や 情ねん人の
吾身 渡さと思て かきてうちぇさ”
と詠ったといわれている。
吉屋チルーの歌は恨みの情を基調としているが、この歌もその中のひとつで有名である。
このような風情をたたえた石橋もその後何回ともなく改修され、一九五三年に軍用道路拡張、改修に伴ない、石橋を取り除き鉄橋に変った。いまや普の面影は全くなくなり橋の隅に立てられた旧比謝橋の模型と吉屋チルーの歌碑が僅かながら、往昔をしのばせている。
※写真は原本参照