読谷の文化財 No.6 読谷壺屋焼
金城次郎氏は一九一二年那覇市の壷屋に生まれ、一三歳の時から今日まで、五十年余りを陶芸の道一筋に歩んでこられた。そして沖縄の数ある陶工の中で陶芸部門でただ一人の、県指定の無形文化財である。各地からの誘致運動があった中を、ついに一九七二年、住居を座喜味横田原に移され、その作品も「読谷壼屋焼」とよばれるようになった。
県内はさておき、県外にまで「文化村読谷」の名を広められた氏の功績は大きい。県内はもちろん、東京・富山・大阪・岡山・広島のどこかでは、毎年氏の個人展が開かれており、作品参加の大展覧会には、第一回日本陶芸海外巡回展や、帝国ホテルでの日本陶芸巨匠大展などがある。戦前からの氏の作品を最も多く集蔵し、公開している所は、東京目黒の「日本民芸館」と、岡山倉敷市の「倉敷民芸館」である。海外ので今わかっているのは、ルーマニアの「国立民芸館」と、ギリシャの「東洋美術館」に各二点ずつ展示されている。原色図鑑では、講談社の「現代の陶芸」第十五巻や、琉球電々公社の「沖縄の陶器」などがある。しかしそんなことより、我々がその気になれば、同氏の実物作品を、いつでもじかに見ることが出来、手に入れることが出来る。読谷村民は、全く陶器冥利につきると言えよう。同氏の陶工としての腕と人柄を要約すれば、「沖縄陶芸固有の伝統的技法と、この土地の原料を充分に生かして、その洗練された技と人柄によって独特の暖かさ、素朴さをにじみ出させることが出来る」ということであろう。同氏のこういう仕事ぶりについて、人間国宝第一号の故・浜田圧司氏は「彼は、われわれ本土の陶工達の仕事を、全く別の線にひきはなしている。あれよあれよというばかりだ。次郎君のものなら見なくても間違いはないほどだ」と書いている。
(曽根信一)
※写真「県指定無形文化財技能保持者金城次郎氏」は原本参照