悔の残らない村づくりに老若村民一体となって
山内勝次郎(座喜味老人クラブ)
先の「ムラおこし研」において、清成忠男先生の「地域主義の時代」森戸哲先生の「まちづくりの現状と展望」岡崎昌之先生の「地域社会研究の歩み」辻弥兵衛先生の「新しい商工会をめざして」等々、初めて聞く話ばかりで大変良い勉強になった。続いて山内村長は「読谷村の現状と問題点」と題して総括的に重要な問題を提起され、現況を報告した。その後「読谷のムラおこしを考えるをテーマにパネルディスカッションがあり、それぞれの関係パネラーは「歴史と風土」「商業と工業」「農業の現状と課題」「村の漁業関係」「花織の現状」などの問題が提起された。「ムラおこし」には沢山の問題が内在することを知り認識を新たにした。
これらの中から断片的にではあるが感じたことを少し考えて見た。最近「地域」について盛んに呼ばれるようになって来た。例えば地方の時代とか、地域主義の時代とか-。
地方の時代ということは昔に戻れということではなく、大都市が蒙るような公害の過を払い、我等の「ムラ」の歴史と風上と自然を生かし、愛着と誇りを以って、人間性豊かな環境・文化村を建設。その繁栄を図っていこうというその地域の社会現象を語ると思う。
「地域主義」については、清成先生のご高説に、特定の地域を「シマ」地域の自立を「シマおこし」自立した地域を土台とする社会の再組織化、が地域主義に他ならない、と。
次に、山内村長は五つの問題と報告の中で、読谷補助飛行場の返還なくして読谷村のムラづくりはできない。と正にその通りだと思った。
曽根先生は、「歴史と風土」のなかでムラおこしは世界史との関係を考えなくてはならない。世界はいま、二つの爆弾を抱えているという。その一つが食糧問題、なぜ食糧問題が爆弾なのか。昔外国に帝国といって強大な権力を振るった大帝国があった。その大帝国が、遺跡のみを残して、今は草木一本も生えない広漠たる砂漠になってしまった。なぜか……
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近代化に名をかりて、地域の歴史、風土、自然、環境等の破壊は、前例に見る如くそのような結果は、ついには砂漠化、あるのみである。と、歴史は教えている。
とかく、今回のムラおこし講演会は我々老人にとっても、かつ身近かなものであり、老若一体となって悔いの残らない「ムラづくり」をして行きたいものだ。