第12回婦人の主張大会から 我が村に下水処理場を 比嘉好子(挺辺)
先に開かれた第12回村婦人会主張大会は、以前に増して盛況を呼んだ。今大会には9名の婦人代表が演壇に立ち、それぞれの生活体験に基づいて、地域に内在する問題を深く掘り下げ熱ぽく堂々と主張していた。
一方、会場には500名近い婦人会員が会場を埋め、それぞれ発表者の主張を熱心に聴いていた。
審査の結果、比嘉好子さん(楚辺)が聴衆を心ゆくまで魅了させ、村婦人会代表として中部地区大会に派遣された。以下、比嘉さんの主張を紹介します。
我が村読谷村は、周囲約二五キロメートル、そのうちの約一〇キロメートルに及んで東支那海に面し美しい海岸線に沿って緑豊かな自然に恵まれた村だと思います。美しい海岸、その美しい遠浅の海岸を有しながら「宝の持ちぐされ」の如くあまり役に立っていない感じが致します。”なぜでしょう”特に楚辺の海岸の場合、私達が幼い頃はきれいな海で海水浴が出来ましたし、家族揃っての潮干狩りの楽しい思い出もございます。ところが、今の子供達は、おしいかな海はよごれて海水浴は出来ず家族揃っての潮干狩りの楽しさを味わうことも出来ません。大きな家族の団らんのひとときが完全に失なわれています。終戦当時は、戦争に敗けたんだから、とあきらめていましたが、あれからもう三〇余年、日本も経済大国といわれるようになりました。私達もいつまでも「ガマン」することはどうかと思います。ここらへんでなんとかして、きれいな海をとりもどし、住みよい地域づくりをして、心身共に丈夫な青少年を育成し、「明日」の読谷村がゆるぎなく、健康な村として栄えることを念願するものでございます。
そこで、今我が村にはなにがほしいか、と問われた場合、私は即座に「下水道」「下水処理場」がほしいと答えたいと思います。昭和五〇年に私は、山口県と佐賀県に研修に参りました。両県の下水処理場を視せてもらいましたが、文化生活とはこんなものか、と強く感じ、始めて見る施設に感心し、うらやましく思った次第です。
我が県、我が村にもあんなのがほしいとあれ以来、考えつづけて参りました。その後沖縄にも多数の下水処理場があることを知り、いつかいって見たいと考えていましたところ幸いに、去った五月に母の日の行事として、楚辺婦人会の高年部計九四名が社会見学として、社会に目を向けようと言うことで施設廻りを致しました。那覇下水処理場と西原の浄水場の見学に参りましたが沖縄にもこんなすばらしい施設があったのかとびっくり致しました。
自分の県内のことも知らずに、他県の施設を見て感心しうらやましく思う自分がはずかしくもなりますが、しかし身近かに我が村にないのですから、うらやましく思うのは、しかたないと思います。我が村の現状は、水洗トイレの普及で生活のうわべだけは、文化生活みたいに考えられますが、実は海を汚ごし、地下水の汚染につながり地下水が全々使いものになりません。又、建築法の改正で、最近では個人個人で浄化槽を設置していますが、これが全地域に全戸に普及しますと、ますます海は汚染されるのではないかと心配でなりません。数少ない現在でも、部落内の排水路は、時々たいへんな悪臭をただよわし、苦情がたえない現状です。又”フタ”のついてない排水路の掃除など非常に酷なことで衛生上どうかと思いますし、身近にある公害の一つではないかと思います。たまたま、砂はまに出て陸を見返した場合、海にそそいでいます汚水が目にとまります。”実にいやな感じが致します。”畜産面も、養豚団地みたいに大きい視模になりますと、いろいろ設備もされているようですが、小規模になりますと、なんの設備もされてない現状のようですし、工業廃水とかいろいろあると思いますが、総べての汚水をそのまま海に、地下に流し込んではどうかと思います。自然を守る意味から、青少年を豊かな自然のなかで心身をきたえる意味からも、保健衛生の面からも、何はさておいても「下水道」”下水処理場”を早く設置してほしいと、私は思います。那覇下水処理場では、浄化されたきれいな水は毎日約五万五千トン。万万五千トンの水はだいたい楚辺全体の約四ケ月の水の使用水童になるようですが、これだけの大量の水を「タダ」海に流されていました。たいへんもったいないことで再利用出来ないものかと、見学に行った方々の意見でしたが私もつよくそう感じました。水資源の乏しい我が村では、浄化された水を農業用水とし、又は工業用水としての再利用法も考慮に入れて、いつか来るかも知れない「カンバツ」にも対処してほしいと思います。きれいな海がよみがえりますと、ビーチの開設等で観光客の誘致など、夢は大きく広がります。我が村に”下水道””下水処理場”をつくって文化的な豊かで住みよい村にしようではありませんか。