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1979年8月発行 広報よみたん / 11頁

アレ?へんな感じチンマーサーを枝打ち-字波平区-

アレ?へんな感じ チンマーサーを枝打ち-字波平区-
 波平区民の心の中に深く生づいた「チンマーサー」(積廻『ガジュマル』)。樹齢百数十年の歴史をもち、樹高は約十五メートル。幾重にもかさなる枝張りは約二〇メートル余。この戚容なチンマーサーは波平区の歴史と共に歩みアガリジョウのガジュマルと共に区民のシンボル的存在となっている。
 ところが「アレ?いつの間に」(写真)誰もがこの目を疑う無残な姿のチンマーサー。「どうして?」……と事の事情を知らない区民の中には嘆きの声も。以前の容威は見るすべもないご覧の通り。片枝がバッサリと切り落され、余りにも無残な姿に惜しむ古老の声が高鳴る。
 チンマーサーの由来について郷土歴史研究家の知花哲雄氏は「定かな文献はまだ解明していない。語り伝えによると波平区の部落端の境界として植えられたものらしい。植樹の年代も定かでなく、只、百数十年の樹齢だという事だけ」。と話していた。
 また、古老の話によると「戦前は共同便所も近くにあり大当原一帯からの野良帰りはチンマーサーの下で必らず一服したものだ。当時にしては区民のコミニティー広場だった」と話していた。こうして波平区民の歴史と共に生きづいてきたチンマーサーは、不思議なことに九〇年以前から生長はピタリと止まり、昔の容姿だという。それだけに、古老の人たちにとっては郷愁を一段と呼び起こし、心の中に根ざしてきたチンマーサーだといえよう。
 由緒あるチンマーサーの枝打ちに部落行政担当者は「区民の心の中に深く生づいたチンマーサーを切り落すに抵抗を感じたが、藪ぶ蚊の発生源となっていて環境衛生の上から好ましくなく、区民共同作業で枝打ちした」と一言。
 同区を出入りするのに必らず目に止める緑濃い「チンマーサー」復元まであと何百年かかることやら、とかく惜しい事には変りない。

※写真は原本参照

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