読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1979年10月発行 広報よみたん / 4頁

座談会 北海道池田町研修を終えて

〔237号2・3ページの続き〕

人の観光客が訪ずれるというが、町全体を観ると比較的おだやかな町並だ。町並にはワインカラーの舗道、ワインを型どった看板、商工会のPRもさすがだ。観光農業をうまく結びつけ、ショッピングとワインと牛肉、それがたまらない魅力だね。
 山内=もとはといえば、二〇年前のワインの発想転換で再スタートした町であり、ワインが町に貢献する度合はかなり大きいですね。あのワイン城が実に印象的だった。
 司会=農業が源泉でユニークな町づくりの実践事例を聴くことが出来たが、その中には住民コンヤンサスがことのほかうまく結びついている感じがする。昨今の地方自治をとりまく現状はというと、とかく住民コンヤンサスがとりざたされます。
 聴くところによると、池田町の広報、広聴活動は町民に深く根ざした幅広い活動をやっていると聴くが、とくに百人委員会の広聴活動が取りざたされます。百人委員会となるものはどういう団体なんですか。
 安田=池田の町づくりのモットーは「みんなで考え、みんなで実行するマチづくり」である。その通り、数々の住民コンセンサスづくりが実施されて、中でも「百人委員会」はユニークである。百人委員会とは、総合計画審議会の通称で、その構成人員が百人という大世帯であることから名付けられたものだ。この百人委員会ではマチづくりについて、いろいろ論議されるわけだが、原則として採決をとらない方針であり、どんな小さな意見でもみんなで論議し、また、有線テレビ放送によって視聴者の意見もとり入れられるという。いわば、百家争鳴の場たらしめる為である。理事者はこの百人委員会で出されたいろいろな意見を行政執行の判断材料とするもので、また、委員は意見するのみにとどまらず、委員会の総意に基づくものについては実際に行政側と一緒になって行動してもらう方策がとられ、「みんなで実行する町づくり」が実践されている。
 山内=地方自治体にしては余りにも奇想天外のことやるものだと感じた。試行錯誤的な発想のもとに実行されたという感じもするが、これが、ことごとく実り、その裏というか、表というか、そこには必らず町民パワーがいて、行政側と住民コンセンサスのパイプラインとなるものがかなり強力なものがあると感じた。そのことは、広報・広聴が果す役割は偉大だなと思いました。
 仲宗根=奇想天外な発想は住民コンセンサスの中から生れたものであり、長期的展望に立っての行政側のテコ入れ、そして実施、そこには必らず町民のコンセンサスが存立していた。
 島袋=みんなで考え、みんなで実行するマチづくり、住民の意見を反映した行政が池田の町づくりの基調である。各階各層の代表で構成する百人委員会の中で「大規模草地開発」等の農政が町民の重点項目として論議され、その中から理事者はマチづくりの方向性を見出す。このように、住民参加を基調にして池田のマチづくりは形成されてきたものです。
 大湾=町づくりの主役は住民側にある。マチづくりの一環として農業、商工業者を毎年海外に公費で研修させ、研修の中から何らかの「ひらめき」を持ち帰り、将来のマチづくりの人材養成をやっており、やはり先進地の研修は多くの人が体験するべきものだと教えられた。
 新垣=池田町の広報活動はより優れたものがある。それは有線テレビ放送の一例をとるが、各家庭に町内のニュースや各種行事の生放送、文化放送から通知等、さらに議会中継もやっていて、町民は家の中で議会の状況を知ることができる。さらに、公区長や町民との懇談会をもつにしても、町が日時を決めることなく、たえず町民側の立場になって町民に決めてもらうという、心のくばり方等は参考にすべきである。それから町長相談日という日があって、定例日にはすべての公式行事をもたず、町民と町長がひざを交え、直接いろいろな相談を受ける。このようにして住民とのコンセンサスが得られ、町民と行政が一体となってそれぞれの立場での意見交換がなされ、常に新しい方向に進み、今日の池田町の発展があるような気がした。
 司会=住民コンセンサスのパワーが今日のユニークなマチづくりをしてきたものですね。
 ひと昔前は過疎にあえぐ町、今では、他自治体がうらやむ栄華の町へと華麗なる変身をとげた池田町。その池田町のマチづくりにじかに接し、研修成果はかなり大きなものがあったかと思います。
 そこで我が読谷村で産業おこし、ムラおこしをするとすれば、そこには何があるのだろう。研修を終えて、その中から「ひらめ」なるものがありましたらお聞かせ願いたいと思うのだが。
 山内=北海道と沖縄では気候、風土や立地的な条件などにかなりの違いはあるが産業振興という面では一致するところであり、むしろ自然条件や、歴史的条件では沖縄の方が有利といわなければならない。この有利な条件をいかに産業振興にとり入れていくかが課題と考えられる。
 まず自然条件と産業との関連では、第一に農林漁業があげられよう。現在本村でも生産基盤は逐次整備されてきているが流通面では未だ大きな阻害がある。今後は、この農林水産物の加工により付加価値を持たせたり村内消費を可能なかぎり増やしていくなどの施策の展開が必要と思われる。
 次に、歴史的条件と産業との関連では、さいわい本村には織物や焼物などの伝統工芸があることからこれら伝統工芸産業の振興があげられる。伝統工芸は、その地域にあるというだけで重要な価値をもつものであり、地域での販売システムの開発により一大産業にまで発展する要素をもっていると考えられる。
 以上の二つの条件を活かした産業の振興がこれからの本村では必要ではないかと思われるが、この産業の振興は地域の風土にマッチしたものであることから自らと観光的な要素を持つものとなりいろいろな産業へと波及していくのではないかと考える。
 島袋=これとて観光資源もない町なのに他と比べてどこか違う、活力がある町だ。そこには物事の発想展開にユニーク性があり、その事を長期的展望に立ち施策の中で進める。町民ひとり一人が町の方針、施策を充分理解していて、住民コンセンサスのもとに池田のマチづくりは進められている。その声が、全国にも類がない事業を続々と展開し、発展している。又、他と同じことをやるにしても、どこかがちがっている。老人対策にしても単なる生活保証だけでなく、生きがいの中から老人福祉を考えている。
 一方、町職員の起用にしても職員にはやってやれないことはない、という方針のもとに職員配置はされ、役場で一番酒好きな人をブドウ酒造りとして、手先の器用な職員を生きがい焼き造りに、その道の専門家でもない人を放送局員にと、失敗をおそれず、町民とともに走りながら考えるという町当局、町民が一体となって走りつづけている池田町はとても魅力だ。
 本村においても二十一世紀の新しいムラづくりをめざすにはこうした住民コンセンサスを行政に繁栄させてこそ「人間性豊かな環境・文化村づくり」ができるものであり、村民参加の村政からムラづくりの起点としてスタートすべきことであろう。
 新垣=池川町の視察研修の中から読谷村の出来る産業は何かと聞かれても「はいこれであります」と答えるのはなかなかむつかしい問題である。町づくりというものが二、三年の短期間でやれるものではないと思います。池田町の場合も長い歴史の中での積み上げられた尊い実積によって今日の池田町に発展した。本村も池田町と以たところがある。それは農業の基盤が農業であるということから出発されたことです。我が読谷村も農業を主体とした第一次産業の振興をはかるためあらゆる制度を活用し農家所得の向上を計ると共に産業と観光の結びつきについて考えてみたい。池田町にまきばの家という観光宿泊施設があるがこれにヒントを得た型の残波開発が出来ないものか。現在社会の人はつかれきっている。特に日本人は働きすぎるといわれていますが、今後は恵まれた自然で親みながらゆっくり休養も出来る施設が必要となって来るであろう。このようなことを

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