読谷の文化財 No.9 尚巴志の墓
伊良皆の国道五八号線の東方(旧部落路)に十五世紀初め頃に三山統一を成しとげた尚巴志王の墓がある。その墓碑には尚巴志、尚忠、尚思達と三人の王の名が刻まれている。尚巴志は三二歳で兵をあげ、その勇知を生かして五七歳で三山を統一し、その後第一尚志は七代続いたが、一四六九年尚徳王の時に金丸(第二尚志の始祖)による革命のため滅ぼされてしまった。
その時一族の平田子や屋比久子等が首里天山の霊御殿にあった尚巴志王統の墓から一族の遺骨を運び出し各地を点々として読谷山の伊良皆、通称「イランマ・サシジャー」(この名称は第一尚志の出身地佐敷のなまった呼名か?)といわれている泉の近くに安住の地を求めて移り、尚家三王の墓を建てたといわれている「その墓の近くに平田子、屋比久子の墓もあり、平田子の子係が現在、伊良皆根人屋の元祖であり、その根人屋には尚巴志、平田子、屋比久子の三つの仏壇が祭られている。
※写真は原本参照