新春を迎えて 読谷村長 山内徳信
村民の皆様!明けましておめでとうございます。
謹んで新年の御挨拶を申し上げます。
昔から「光陰矢の如し」とか「歳月人を待たず」と言われてきましたが、あっという間に一年が過ぎ、新しい年「一九八○年」を迎え、世に言われている「八○年代」に入りました。
村民の皆様には輝しい新春を迎えられ、新たな希望と決意に燃えておられることと思います。
「一年の計は元旦にあり」と言われます。世の中も決して平穏な世相とはいえませんが、それにもめげず村民ひとりびとりが大きな希望を抱いて頑張りぬかれることをお願い申し上げる次第であります。人間が進歩発展して参りましたのは、希望という精神力と情熱が内在したからに他なりません。
村民の皆様!今年は八○年代の第一年目です。八○年代は「自治と分権」を目指す「地方の時代」と予見されます。
七〇年代は「混迷と激動の時代」と言われましたが、八○年代は正に「地方の時代」と言われます。
「地方の時代」を迎えるに当って最も大切なことは、読谷村民の先見性と主体性の確立でありましょう。その為には互いに広い気持で切磋琢磨する必要があります。
我々は、時流に流されることなく歴史の推移を正しくみつめ、常に歴史の底を流れている「真なるもの、善なるもの」を求め、八○年代の読谷村が一つの地方自治体として大きく発展するため、村民の英知と力、そして和の精神を結集して進まなければなりません。
地方の時代にふさわしい読谷村を作り得るか否かは正に読谷村に住む村民ひとりびとりの努力と協力態勢にかかっていると言えましょう。
村民の皆様!今年は「自治」ということを今一度皆んなで考える年にしようではありませんか。
「自治」とは何でありましょうか。辞書には「自分で自分のことを処理すること」とあります。
「地方自治」と聞いただけでは自分と関係のない何か遠い存在のように感じる人もいると思います。
小学校や中学校で勉強し、蛇口をひねれば水が出、ゴミやし尿を片づけ、診療所で病気を治し、運動広場でスポーツを楽しみ、そして非衛生的な排水やでこぼこ道路を整備する。これらは大なり小なり私たちの生活に直結していることであり、このような仕事が「地方自治」だということに気づかない人が以外と多いのではないでしょうか。
地方自治とは詰るところ、お互の村のこと、お互の字のことを皆んなで考え、皆んなで協力し合い、住みよい村、住みよい地域を作りあげていく実践そのものが自治であります。
今、読谷村民は「地方自治」の尊い実績をつくりつつあります。昨年十一月から読谷補助飛行場の米軍演習場の撤去を求める強力な斗いを組んで参りましたが、日米外交ルートで解決するという新しい情勢を作り上げることが出来ましたのは大きな成果であり前進であります。これは正に読谷村としての「地方自治」の生死をかけた壮大な斗いでありました。今年も村民の総力を結集し、目的達成まで頑張りぬこうではありませんか。
輝ける地方の時代、輝ける地方自治を目指し、村民がそれぞれの立場で頑張って下さいますようお願い申し上げます。
おわりに、新年を迎えられた村民各位の御健康と御多幸を祈念し、新春の御挨拶と致します。
※写真は原本参照