読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1980年2月発行 広報よみたん / 2頁

古堅南小学校 つち音高く建設工事始まる 4月1日開校めざし急ピッチ 初代校長に岳原宜正氏(比謝矼出身)

古堅南小学校 つち音高く建設工事始まる 4月1日開校めざし急ピッチ
 本村5番目の小学校、古堅南小学校の建設工事がつち音高くエンジン全開で着工された。
 その工事安全を祈願する起工式が去る12月28日午後1時30分から学校建設現地で行われ、式には山内徳信村長、新垣秀吉村議会議長、新崎盛繁教育長はじめ、村内小中学校長、新設小学校誘致推進委員など多数が参列して行われた。
 起工式は、まず新垣普天間神宮宮司による厳粛な工事安全祈願のお払いで進められ、そのあと山内徳信村長、宮城清考大協建設代表、それに永田盛重設計事務所代表による鍬入れをもって、工事安全を祈願する起工式をとどこうりなく終えた。

 古堅南小学校は字古堅差門原一帯、古堅公民館北側に位置する。学校敷地の面積は三万六千平方メートル。その中に普通教室十三学級をはじめ、特別活動室、ミニホール、図書館、体育館、それに管理室等がつくられる。これらの学校施設の竣工年度は昭和五六年度とし、今年度(昭和五四年度)はとりあえず普通教室四学級、特別教室、図書館、管理室が建てられることになり、現在急ピッチで工事は進められている。
 学校建設の設計部門は永田建設設計事務所(永田盛重代表)が担当し、建物工事は大協建設(宮城清考代表)。電気工事は波平電気工事社(喜友名哲男代表)。それに、給排水設備工事については複数の事業所が一つの企業体を組んで請負建設工事共同企業体方式がとられ、照屋設備(照屋幸繁代表)と花崎設備(与久田秀雄代表)が企業共同体を組み請負うことになっている。それぞれの請負業者は設計部門を除いて、すべて村内事業所によって工事は進められている。
 また、それぞれの請負額については建物工事分は一億六千八○○万円。電気工事は一千七百八○万円。給排水設備工事は二千六百九〇万円。総額二億一千二百七○万円で新設小学校の建設工事は進められ、六月末竣工を目指して工事は急ピッチで進められている。
 新設小学校は昭和五六年度をもって、すべての建設工事の竣工をみることが出来るが、将来計画においては普通教室十九学級分、それに水泳プールの設置構想がもたれている。古堅南小学校建設は昭和三九年の古堅中学校が現在地への移転以来、十五年ぶりの学校建設となるだけに、教育関係者の取り組む熱意は凄じいものがある。新設小学校の建設は村教育行政の長年の懸案事業の一つであっただけに、完成後の暁は村内一の羨まれる校風を築きあげるものと、今から大張り切りだ。
 一方、設計部門については現代建築界の先端をゆく技法をもって設計されている。その特徴は、省エネ時代に反映して自然採光を充分に生かした設計がとられている。また、また、通路として使用される廊下が広いスペースをもつのも特徴の一つに数えられている。他の学校での廊下は通常通路のみの役割りしか果せないが、新設校における廊下は学習活動の延長ともなり、広く活動の場となる模様。
 古堅南小学校は四月一日開校を目指し、その準備に追われている。だが、工事着工の遅れから竣工々期が六月末にずれ込むとあって、開校後も当分のあいだは古堅小学校においての教育を余儀なくされるものといわれる。その完成を待ちかねる地域のこどもたちは工準現場を見回るなど、日一日と急ピッチで進められる学校の完成に、首を長くして待つ子供たちの姿が日に日に多く見受けられる。
 尚、古堅南小学校には村南部地域の古堅、大湾、比謝矼、比謝、渡具知それに牧原、大木の一部の児童約五〇〇名が在籍することになっている。

初代校長に岳原宜正氏(比謝橋出身)
 新設小学校、古堅南小学校の初代学校長に字比謝矼出身の岳原宜正氏(写真)が発令されました。県教育庁より一月一日付の発令になり、現在、古堅小学校に席を交え、四月一日開校の準備に追われています。
 初代校長の岳原氏は、具志川市田場小学校校長からの転任です。一方、教頭こは、恩納村字名嘉真出身の仲嶺真助氏が発令されました。仲嶺氏は恩納小学校からの転任となっています。

※写真「ヨイショ!との掛け声でもって鍬入れの儀を終える」、「起工式には各学校長も参列。厳粛な起工式に真剣な面持」は原本参照

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。