読谷の文化財 No.10 阿麻和利の墓
古堅小学校裏手の四〇mぐらいの所に大岩があり、その下に阿麻和利の墓というのがある。北谷間切屋良邑の一介の百姓から身を興し勝連城主となり、国王の娘婿にまでなったが、王にむほんをたくらんだとの理由で首里の軍勢の討伐を受け勝連での戦に敗れ、故郷の屋良まで落ち延びてきたが、なお追われて読谷山の楚辺邑で討たれたという、その場所はウェンミ原と呼ばれて現在小字名として残っているがウェンミとは方言で降参するという意味であり、首里の追手が阿麻和利を討取る時に言った言葉が小字名として使われるようになったといわれる。ウェンミ原で殺された阿麻和利の遺骸はそこから北の現在古堅小学校裏手の岩陰に棄てられたといわれる所で、現在周囲すすきが生い茂りあまりおとずれる人もなく、墓は一九六三年縁故の人によって岩陰をブロックで囲いセメント作りの「阿麻和利之墓」と書かれた小さな碑が立っている。
※写真は原本参照