カメラがみた1970年代 こんな事業あんなできごとがありました
七〇年代はとかくあわただしい動きの中に幕を閉じ、そして八○年代へとバトンタッチされた。七〇年代は、オイルショックを契機に国内、県内の社会・経済情勢は荒海の中の小舟の如く大きく揺れ動き、ハラハラさせる混迷の中に明け暮れた。
八○年代、果たして光明を呼ぶか。その期待を一身に担った八○年代の夜明けは、決して余断を許さざる荒波が大きなうねりをたて押し寄せてくる。とりわけ経済情勢では、物価高、公共料金の軒並み値上げと続き「雲りのち雨」の雲行きだ。
七〇年代-いろいろなことがあった。とかく泣き笑いの人生、そのドラマを膚で感じた私たちは、八○年代に何を期待すべきか。今年も四分の一ケ月が過ぎ去ろうとし、時計の針は刻一刻と時を待たず進み行く。
私たちは、とかく苦節十年とかいう。一つの節目としての十年ともいえるが「広報よみたん」では、その十年にカメラをズームアップし、特集ページをつくってみた。題して「一九七〇年代『こんな事業』『あんなできごと』がありました」。さあ、あなたはあのとき何をしていましたか、広報よみたんのページを見開き、時の流れを振り返ってみようではないか。
①祖国復帰前夜-六〇年代の県内情勢は悲願の祖国復帰を叫ぶ県民ぐるみの運動が展開されていた。とりわけ、四月二八日は沖縄県民屈辱の日と印された。祖国復帰運動は海上大会、綱の目行進で祖国復帰運動を盛り上げた。そして、一九七二年五月一五日、ついに悲願の祖国復帰は実現した。しかし……
②炬火リレー-沖縄の祖国復帰を記念して特別国体「若夏国体」が用催された(1973年)。村内では若人等の手によって力強く炬火がリレーされた。
③中央公民館完成-県下で初めての中央公民館完成。(1970年)以来、村民文化、福祉活動の拠点として利用されている。
④米軍ジェット機墜落-あわや大惨事!楚辺部落後方に訓練中のジェット機が大音響をともなって墜落。一歩誤まれば大惨事地域住民をヒヤッとさせた(一九七一年十月二九日)
⑤円交換-沖縄における通貨は四半世紀の間にめまぐるしく変った。旧日円から米軍標B円にドル貨に、そして現在の日円にと。
⑥座喜味城跡修復工事-国の史跡重要文化財に指定され、修復工事が進められた。一九八一年にその全貌を見ることができる。
⑦座喜味城跡公園-琉球松の群生する一帯は、元米軍基地として村民の立入りは禁止されていた。返還後、年次計画で公園化の整備が進められ、村民いこいの広場として広く利用されている。
※写真「①祖国復帰前夜」、「②炬火リレー」、「③中央公民館完成」、「④米軍ジェット機墜落」、「⑤円交換」、「⑥座喜味城跡修復工事」、「⑦座喜味城跡公園」は原本参照