読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1980年3月発行 広報よみたん / 6頁

カメラがみた1970年こんな事業あんなできごとがありました

〔242号2~5ページの続き〕

(36)ビニールハウス団地-渡ケ次高志保一帯にビニールハウス団地を造成。団地から産出されるピーマンは「読谷特産」の銘柄をもつ。
(37)共同集荷場-これまでの庭先取引きから共同出荷へ。流通部門の強地をねらいとし、共同集荷施設がつくられた。
(38)養豚団地-主産地化をめざし養豚団地の造成が各地で進められた。だが、昨今の養豚農家をとりまく現状はきびしいものがある。
(39)読谷漁港の整備-近代的な漁港に衣がえした都屋漁港。沿岸漁業への期待を担って。
(40)いも団地造成-本村産出のいもは消費市場より評判高い。とりわけ紅いもは抜群にうまい。
(41)牛団地-モ~たくさん。肥育牛が群なす団地。一昔前の一~二頭飼育から比して格別だ。
(42)座喜味農村基盤総合整備事業-豊かな農村経済は、まず生産基盤の整備からと、県下で初めての事業導入であった。この事業によって、耕地、集落内道路はみちがえる程に整備された。
(43)村民パワー・パート1
 まるで戦場だ、鉄の雨が頭上を飛びかい、いのちあっての我が人生。不発弾処理場撤去闘争(一九七四年)
(44)村民パワー・パート2
 読谷飛行場内米軍アンテナ設置反対村民大会、雨の中でも身じろぎすることなく絶対許さんゾ!米軍ついに断念(一九七六年)
(45) 村民パワー・パート3
 あわや大惨事!米軍不発弾処理場から毒ガスもれ事故発生。地域住民、中、高校生一千人余名が被害に遭った。
(46) 村民パワー・パート4
 いまなお続いている読谷飛行場内米軍降下演習撤退に関する闘争。いのちあっての行政、村長自ら先頭に立つ。
(47)この土地は私たちの土地-国有地ではありませんと国会の先生方を前にして所有権の回復を整える読谷飛行場幼稚所有権回復地主会。

※写真「36ビニールハウス団地」、「37共同集荷場」、「38養豚団地」、「39読谷漁港の整備」、「40いも団地造成」、「41牛団地」、「42座喜味農村基盤総合整備事業」、「43村民パワー・パート1」、「44村民パワー・パート2」、「45村民パワー・パート3」、「46村民パワー・パート4」、「47この土地は私たちの土地」は原本参照

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。