村人口3万人到達は80年代後半か?過去十年間に四、四七九人増加
村人口動態
役場・住民課はこのほど一九七九年一年間における村人口移動状況についてまとめた。これは、住民基本台帳月報作製に添ってまとめたもので、これによると、人口移動状況は自然動熊と社会動態とに分けられてまとめられている。
自然動態についてみると、出生四六一二人に対し、死亡は一二四人。従って、自然増加人口は三三九人となり、過去十年間の最少増加数になっている。
一方、社会動態についてみると、転入者は一、二八二人。これに対し、転出者は一、二五五人。その結果、社会動態人口増加は僅か二七人であり、その前年に比べ約五分の一の増加であった。だが、七〇年代前半のマイナス値に比して、僅かに伸びてはいるものの、七○年代後半の二〇〇人台着実に増加していたことに比較して、かなり少ない社会増加になっている。中でも、不思議なことは、一般宅造、分譲宅造がかなり進行してきただけに、この最少増加数値はどうしたことだろう?
転出組の一、二五五人についての個票をめくりみると、そのほとんどは就職、進学等による単身者の転出であり、家族ぐるみの転出は少なく一一四世帯である。また、転入世帯については二一八世帯であり、その結果一一四世帯増をみることができた。
次に七〇年代、過去十年間における村人口移動状況についてみると、自然動態の出生については現在村人口のほぼ五分の一に当る五、〇四二人が誕生し、死亡については宇座区の行政区人口に匹敵する一、二二〇人が亡くなられた。従って、自然増加人口は三、八四九人となり、過去十年間におよそ波平区と瀬名波区の行政区人口に類する人口増加をみることができた。
一方、社会動態についてみると、過去十年間に現在村人口の半分近い一二、七一二人が転入し、転出については一二、○八二人となっている。転入・転出とも毎年一、二○○~一、三○○人台を推移しているが、ことに沖縄の祖国復帰前後の年は転出・転入ともかなりの移動がみられた。
七○年代前半は社会動態の人口滅少が四ケ年間続いたが、後半に入って、次第に増加を示しその結果、十年間では六三○人の社会増加人口がみられた。七○年代の村人口移動状況は、自然増加、社会増加総計で四、四七九人にのぼり、その数値は現在村人口のほぼ六分の一の人口増加をみることかできた。
以下、昨年の村内人口移動状況について自然動態、社会動態別にまとめてみた。
出生 オギヤァ~と四六三人誕生
昨年一年間に四六三人の赤ちゃんが延生したことは前記の通りで、これは一日に一・三人の尊い生命が村内のどこかでうぶ声を発し、すくすくと育まれていることになりている。
男女別についてみると、男児が二三一人、女児が二三三人になっていて、女児の方が僅かに一人だけ多く、バランスのとれているところに統計のおもしろ味がある。従来の統計では男児の出生数がかなり多かったが、昨年はなぜか女児の出生も多く、バランスのとれたおめでたい赤ちゃん誕生になったようである。
次に、月別の出生状況をみると、四月~十二月においては常に四〇人台の赤ちゃん誕生をマークしているが、一月~三月にかけてはなぜか極端に出生数が少なくなっている。このことについて役場駐在の保健婦さんは「今の若い母親は、子供の教育について真剣です。一月~三月生れの子供は就学との関係で、何かと子供に負担が重く、つとめて出産を一月~三月期をはずす計画出産をなされたことと思いますネ」。と話していた。それにしても、つくりたい月にうまくおめでたされる方にとっては最高に幸せだが、中には子宝に恵まれにくい方にとっては実にうらやましい限りであり、ぜいたくはいえません。善は急げ!といいたくもなりますネ。
死亡 三日に一人 ご冥福をお祈りいたします
昨年は一二四人の方が亡くなられました。ここで、あらためて故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
死亡された方を男女別に分けてみると、男が五七人、女が六七人と女が十人ほど多い。村人口では女が四○○人近く多いが老齢人口(昭和五○年国調)についてみると、女一○○人に対し、男は約半分の五三人でしかならず、これからして男の死亡率はかなり高いことを意味する。只、女の死亡が多かっただけでは事は済まされないようだ。
次に、月別についてみると、寒い時期に多くの死亡者があり、また、季節の移り変わり目のする月に特に多くの死亡者がみられるのが特徴だ。死因別では、老衰で亡くなられた方が大勢を占めているが、中にはいたましい水魔による犠牲者や病気等による死亡が主な原因になっている。
昨年は三日に一人の尊い生命が亡くなられた。あらためて故人の冥福を心からお祈り申し上げます。
転入 転出 一日当りともに三・五人
社会人口動態については、まず転入が一、二八二人で県内から五五四人、県外から四四六人となっている。男女別では、男が六○九人、女が六七三人である。月別でみると、就学シーズンの四月における転入者が圧倒的に多く、その月を越すと平均した転入動向を示している。昨年の社会増加人口は僅か二七人止りとなっているが、就学年齢者の人口は一六五人と格別に多く、そのことは逆をいえば労働力人口の流出を意味する結果にもとられる。
次に、転出の状況についてみると、昨年は一、二五五人が県内外に転出した。その内訳は県内に五五四人、県外に四四六人。また、村民すべての権利等の元締と目される住民基本台帳から職権で削除された方が二五五人もいる。このことは転出に際し転出届をせず、サッと忍者如きに村外へと去った人たちのことを意味し、役場住民課では転出の際は必らず転出届を提出したあと、各々の場所に移動することを呼びかけている。
月別の転出状況では、三月~五月の就職・就学シーズンに圧倒的多く、このシーズンの転出は全体の四○パーセントを占めている。また、このシーズンは人口動態のマイナス値を示すのも例年に変わらぬ状況であり、結局昨年の一日当りの転入・転出は三・五人になっていた。
※イラストは原本参照