もえる夏の夜月光の下で区民そろってフィーバー-座喜味区豊年まつり-
座喜味区(比嘉光義区長)恒例の豊年祭が去る七月二五日~二六日の両日、同区公民館で開かれ延べ三千人余の観客でにぎわった。
同区の豊年祭は、その昔から五穀豊穣を祈願し旧暦の六月十四日に行われている恒例の行事。今年からはまつり趣向を一歩変え「子ども文庫育成基金募金」も兼ねて行われた。
昨今の琉球列島は燃える夏そのもの。不夜城と化し真夏の夜を彩った同区の豊年祭は両日にわたり、大きなにぎわいをみせていた。まず、まつり初日は前夜祭と銘打って区民の豊年おどり、花火大会、今はやりのカラオケ大会ありで大にぎわい。燃える夏の夜を老いも若きも大いにフィバーしていた。
また、公民館ホールでは「戦争と写真展」が開かれていた。会場には八○枚の写真パネルが展示され、戦争の悪夢、忌まわしい戦争の悲惨さを今一度思い起こし「平和の尊さ」を子供たちが身をもって知り、醜い戦争、二度とその過ちを繰り返してはならないと人類平和への願いを込めての写真展になっていた。
一方、今年のまつりのハイライトのひとつ、共栄会(喜友名昇会長)製作の長編映画(ビデオ録画)は終日にわたり人気を呼んでいた。ビデオ撮りは共栄会が中心になって約一ケ月で完成。自作自演しかも台本なしのぶっつけ本番とあって、ユニークさも加わり、笑いあり、感動シーンありでプロ顔まけの熱演にそれぞれの観衆は感動しきっていた。
ビデオの収録は「祖先が築きあげた文化遺産を後世に語り継ごう」とのねらいで製作され、二時間という長編もの。その中に昔の生活様式・風習すべてを収録してある。
出演者はすべて区民、台本なしとあって熱演の余り三ケ国語(?)が入り混ざり、子供たちにも分かりやすくて人気を呼んでいた。それぞれの出演者はすべて戦前の姿での出演。その中でトーフ造り、農耕の姿、また「ウワーグワァカタミテナーファヌマチカイ」(仔豚をかつぎ那覇の町へ)など、本物の仔豚をかついでの熱演は真剣そのもので昔の生活様式、風習が一目で分かりやすく撮影されていた。
一方、テレビの前に陣取った子供たちは「アレうちのじいさん変な格好」といえば、そのとなりで「昔はみんなあんな着物をつけていたんだよ」と説明、三〇数年前のタイムカプセルを開封したかのようなビデオ撮りに目を白黒させるチビッ子も多かった。映画製作総監督の喜友名昇会長は自らも出演し名演技ぶりを発揮していた。同映画の製作にあたって喜友名会長は「物質文明の今日、失なわれつつある祖先が築きあげた文化遺産を守らねばならぬ。ビデオに納めて保存し後世に語り継ぐねらいで製作した。台本なしのぶっつけ本番でご覧の通りだが…」と謙遜しながら話していた。
まつり二日目は「子供文庫育成基金募金」も兼ねるとあってその日の主役は子供会中心の行事。子どもつな引き、子どもの主張大会、チビッ子のど自慢大会が催されていた。子ども育成会宮城安榮会長は「伝統行事と併せての催しは、次の世代を担う子どもたちにとって重要な意味をもち、地域共同体、相互理解精神の涵養にもなる。区民からの基金でもって良い本を購入し、子供文庫を創設し、子どもたちに広く利用させたい」と話していた。
☆…豊年祭は夏の夜を煌煌と輝く月の光の下で大きく盛り上がった。メインエベントは恒例の青年会対共栄会対抗角力大会でその頂点に達した。角力大会は昔からの伝統とあって老人から子供にいたるまで身動きすることなく大盛況、取り組み一番ごとに熱況を呼んでいた。その結果はパワーを誇る共栄会が連勝街道を突走しり、貫録の余裕を見せていた、結びの一番は午前○時半を廻り、豊年祭は不夜城と化していた。
※写真「区民総参加の豊年まつり、児童生徒の熱ぽい主張大会」は原本参照