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1981年2月発行 広報よみたん / 11頁

命あるものは力強い 読谷小三年知花要

命あるものは力強い 読谷小三年 知花要
 先に開かれた第十七回沖縄県読書感想文コンクールにおいて低学年の部で読谷小学校三年生の知花要君がみごと最優秀賞の金賞に輝きました。
 知花要君は「チロヌップのキツネ」を読んでの感想文をまとめたもので、応募作品二千点余りから最優秀作品に選ばれたものです。
 今搬は知花要君の読書感想文を紹介いたしましょう。

 ぼくは、この世の中で一ばんいばっている動物は、人間だと思いました。人間は、自分のちょっとした楽しみのために、ほかの動物の命をそまつにしているからです。あんなに楽しく、しあわせにくらしていたさつねの家ぞくのへいわをぶちこわしてしまったのも、人間たちです。ぼくは、「チロヌップのきつね」をよんで、とても、かなしい気持ちになりました。
 雪のふりつもるチロヌップという北の島にすんでいたきつね一家は、とても、楽しくくらしていました。お父さんぎつねとお母さんぎつねは、子ぎつねたちをたいへんかわいがり、また、ちびこぎつねとぼうやぎつねは、なかよく遊びまわって、まるで、人間の家ぞくのようにくらしていました。それなのに、人間たちは、ぼうやぎつねと父さんぎつねをてっぽうでうちころし、また、ちびこぎつねをくさりのわなにかけて、とうとう死なせてしまったのです。同じ生きものだのに、ただ、きつねというだけで何も悪いことをしない、きつね一家をころしてしまう人間がぼくはにくいと思いました。
 国語の時間にならった、「アフリカのたいこ」という本の中でも、「命ほどとうといものはない」ということが書かれていました。たとえ、植物や、けものであっても人間と同じように大事な命をもっています。
 「命のあるものは、生きて、動いて、力強い」という言葉を知っていたら、むやみに生き物をころさないと思いました。
 ぼくは、この二つの本を読んで、草や木にさえ命があるし、人間だからといって、自分のかってでほかの動物の命をそまつにしてはいけないということがわかりました。
 ぼくは、これまで、セミやバッタやカマキリをつかまえて、遊びおわったら「もう、かんけいない」と思って、いいかげんにはねをむしったり、ころしたりしたことが何回もありました。それから、ネコや犬でも、はじめは、かわいがってせわもするが、しだいにあきてねっしんにせわもしなくなったりします。いままでの自分をふりかえってみると、ぼくのやってきたことは、はずかしいことだなと考えました。これからは、この世の中にたった一つの命を、むやみにあっかわないようにしたいと思います。
 そのほかに、この木を読んで感動したところは、お父さんぎつねとお母さんぎつねが、命がけで、自分の子どもたちをきけんからまもろうとしたところです。お父さんぎつねは、人間の注意をわざと自分に向けさせて、てっぽうでうたれて死にました。また、お母さんぎつねは、けがした足をひきづってえさをさがしまわり、子ぎつねを、自分の体で雪のさむさからまもってくれました。
 ぼくは、動物の親子だって、人間の親子と同じように強い心でむすばれていると思いました。

※写真は原本参照

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