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1981年3月発行 広報よみたん / 3頁

祝 古堅南小学校 はなやかに校舎開き移転式典 豪華な校舎に歓喜の声

祝 古堅南小学校 はなやかに校舎開き移転式典 豪華な校舎に歓喜の声
 一五〇〇メートルの道のりを力強く行進してきた四七二人の児童、二十一人の先生方は午前十時過ぎ南小学校校門前に到着しました。沿道には父母、来賓約五〇〇人が「祝・古堅南小学校移転」の小旗を振って出迎えていました。鼓笛隊は顔面にやや興奮の面持で劇的な移転式のセレモニーへとあゆみました。
 古堅南小学校校舎開きセレモニーは午前十時過ぎから行われました。校門前に準備された紅白のテープ。全児童、教職員、来賓、父母はかたずをのんで歴史的なテープカットのシーンを見守りました。
 午前十時二〇分、岳原宜正校長、松田学児童会長、池原善福PTA会長、山内徳信村長、新崎盛繁教育長、伊波栄徳村議会議長が紅白のテープにハサミを入れ、歴史的な校舎開きが行われました。その一瞬、後方に陣取った児童の中から「ついにヤッタ!ボクたちの学校だ!」と飛びあがってからだ中で喜びを現わす子もみられました。そのあと、岳原校長を先頭に一年生から順次新しい校舎に入り、夢にまでみた新校舎の素晴らしさにそれぞれの児童は驚嘆の余り目をキョトンとする一幕も。喜びいさむ児童たちは「ワァーホテルみたい!」「これからガンバルゾ!」と胸をはずませていました。
 校舎内見学のあと移転式典は一階多目的ホールで開かれました。多目的ホールは二階吹きぬけ、二八八平方メートルの広い空間をもち、床は行色のジュータンが敷かれ、ホテルのロビーを思わせる豪華なホールです。その中で全児童、職員、父母、来賓が列席して移転式典は開かれました。式典は仲嶺教頭の開式のことばで幕を開き、つづいて岳原校長が式辞を述べられました。岳原校長は「私たち、古堅南小学校は約十一ヶ月間古堅小学校で間貸り授業をしてきました。今日からは何不自由なく私たちの新しい校舎で勉強することができます。私たちは『躍進古堅南小学校』の使命感に燃え、この末広がりの躍進文字のごとく、しっかりと大地に根をおろし、素時らしい校風をつくりましよう。」と式辞を述べられました。また、児童代表の松田江利子さんは「私たちの学校は沖縄一の素晴しい学校です。
 これからはスポーツに勉強に一生懸命頑張ります。こんなりっぱな学校をつくって下さってどうもありがとうございました。」と力強くよろこびのあいさつをしていました。そのあと山内村長、新崎教育長、池原PTA会長から祝辞を受けました。一方、祝賀演技には一年生から三年生までの児童がゆうぎを披露し、移転式典に花を添えました。
☆……古堅南小学校は昨年四月に本村五番目の小学校として開校いたしました。だが、校舎建築の遅れからこれまで古堅小学校の校舎を興りて授業してきました。
 同校は「久遠の理想かかげ」戦前幾多の人材を育んできた教育ゆかりの地に建設されています。学校敷地の面植は一万二千坪という広大さで、併せてホテル並みのモダンな校舎は県下随一だといわれます。校舎はこれまでの学校校舎では考えられない超モダンな設計のもとに建設され、広々とした教室、自然採光を充分に生かした窓、廊下の広いスペースは教室の延長だといいます。また、黒板は後方からも見やすいシネマスコープ型に広がるマグネット式の黒板が採用され、学習効果の向上が期待されています。
 一方、校舎中央に位置する特別活動室「多目的ホール」は一流ホテルのロビーを思わせます。そのとなりに図書室があって部厚いジュータンを敷き詰めた多目的ホールでは種々の児童会活動が計画され、学園広場として広く利用されます。
 同校の校舎建築は二十一世紀に向けた世界にはばたく子供たちの育成をめざし、二十一世紀の学校教育を先取りした建築構造です。ことに将来の学校運営構想としてオープン教育システムの構想をもち、のびやかなたくましい児童の教育にあたるといわれます。

※写真「学校校舎のイメージを変えた超近代的な古堅南小の校舎」、「ガンバルゾーぼくたちの学校だ!」、「力強く第一歩をふみ入れる児童たち」、「いよいよ移転式典セレモニー、かたずをのんで見守る児童、来賓。一瞬紅白のテープにハサミがはいり、ワァーと歓声」、「多目的ホールで開かれた式典には児童たちも祝賀演技を披露、二十一世紀に限りない躍動をみせた」は原本参照

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