読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1981年5月発行 広報よみたん / 2頁

ヒヤッ!怪鳥だ? あわや大惨事!騒然となる古堅小学校-パラシュート落下事故- あいつぐ落下傘事故に怒りのうず 米軍落下傘演習場撤去要求促進村民総決起大会

ヒヤッ!怪鳥だ? あわや大惨事!騒然となる古堅小学校-パラシュート落下事故-
 またしても米軍のパラシュート降下演習事故(ミス)が発生し、あいつぐ米軍の無神経な行為に村民の怒りは大きな炎となって燃えさかっている。
 事故は去る四月二十一日午前八時三〇分ごろ起きた。この日、古堅小学校(野村正弘校長)では運動場で朝礼が開かれようとしていた。その時、上空に三個のパラシュートが強風にあおられて飛来、一千六名児童の頭上をかすめて基地内へ落下した。児童たちは一瞬、緊張のあまり顔面蒼白、なかにはブルブル震えあがる児童もいて、神聖な場であるはずの学校、朝礼の場は騒然となった。
 先生たちの脳裡には、一瞬、十六年前のあの痛ましい事故、トレーラー落下によって圧殺された棚原隆子ちゃんを思い出さずにはいられなかった。幸いにして、事なきをえたものの、パラシュート落下の恐さを知っているだけに、この日の先生方は終日、心の安まる思いはなかったという。
 この日の上空は強い風がふき荒れていた。米軍は、読谷補助飛行場はパラシュート降下演習には不適である。といいつつも一向に演習を止めようとしない。しかも、この日は通告なしで降下演習を強行し、降下目標地点から一千三〇〇米も離れた米軍基地内へ落下した。米軍は「オーミステイク」降下ミスだといって清々、山内村長らを軽くあしらったという。
 村民感情をあざ笑うかのように立ち去る傲慢な米軍の態度、なにがしてでも許してはならない。さいわいにして惨事はまぬがれたものの、もし、運動場のど真中に落下していたらと思う時、背筋がこう着する思いがしてならない。

あいつぐ落下傘事故に怒りのうず 米軍落下傘演習場撤去要求促進村民総決起大会
 しばらく鳴りをひそめていた感じのする米軍の降下演習。だが突如として降下演習を強行し、村民の心に刻み込まれた古い傷を甦らす。
 落下事故を起こす前日も降下演習は行われた。しかも、夜間降下演習だった。古タイヤを燃やし、抗議行動を繰り返す村民を無視しての演習だ。
 「いつになったら平穏な生活かできるのだろうか。」-演習あるごと思う村民。事故というのは予期しないときに起き、ある日突然におこるという。しかし、パラシュート降下演習による事故は起こるべきして起きる事故で、今度の事故はその一例である。演習場あるがゆえの事故は村民にまとわりついて離れず、いつわが身にと思う村民の精神的な苦痛は、はかり知れなく大きいものがある。
 起こるべきして起こる事故、惨事を引き起こす前に演習場撤去を要求する-。「読谷補助飛行場内米軍落下傘演習場撤去要求実行委員会」はこの日の午後四時から緊急対策会議を開き、演習場撤去を要求していく具体的な抗議行動の取り組みについて協議した。その結果、再度「読谷飛行場内米軍落下傘演習場撤去要求促進村民総決起大会」を開き、強力な撤去要求の抗議行動を展開して行くことを決めた。
 一方、読谷村議会(伊波栄徳議長)は二十三日午前十時、臨時議会を招集し、米軍の落下傘降下演習事故に対する抗議と演習場の即時撤去に関する要求決議を満場一致で採択、さっそく外務大臣、防衛施設庁長官、県知事、米四軍調整官など八機関に決議文を送った。また、午後からは、那覇防衛施設局長など県内関係機関へ出向き、米軍の演習によって危険にさらされている読谷村の現状を訴え、一日も早く読谷村から落下傘演習場が撤去されることの要請を行った。
 ”児童生徒の生命と学習権を脅かす演習場を即時撤去せよ”あいつぐ米軍パラシュート演習事故に抗議する村民総決起大会は去る四月二三日午後七時前から村運動広場で開かれた。
 この日の大会には、たびかさなる米軍のパラシュート落下傘演習事故に憤る村民多数が参加して開かれた。大会は、まず安田慶造助役から経過の報告を受けた。そのあと、山内徳信村長(大会実行委員長)が演壇にたち、満面怒りふるいたつ口調で今度のパラシュート降下演習、そして、これまでの一連の事故の背景を逐一説明した。そのなかで、山内徳信実行委員長は「神聖な場であるはずの学校環境は、いまや米軍パラシュート落下演習によって、児童たちは

※写真「不退転の決意で戦いの強化をと訴える山内徳信実行委員長」は原本参照

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