そんちょう日記 №1 読谷村長山内徳信
八月二十八日(金)
炎天の八月二十八日、読谷村に初めて大臣が来られた。我孫子藤吉自治大臣である。自治大臣は自治体担当の大臣で、市町村と最も関係の深い大臣である。
当初、この話しが、自治省から沖縄県を通してあった時、私は、「何故、大臣が読谷村を訪問したいとおっしゃるのか、その目的は何か、何をご覧になりたいのか等々」考えこんだ。
大臣が見たい、とおっしゃったのは、読谷村の文化村づくりであり、具体的には「読谷山花織」と「やちむんの里」を中心とした地域経済振興対策事業であった。
私達はよろこんで読谷村を視察していただくことにした。そのことが読谷村の「人間性豊かな環境・文化村」づくりを理解していただく絶好の機会だと思ったからである。同時に、読谷村民の戦後処理の懸案事項である読谷飛行場の返還問題や米軍の演習場撤去要求の真意をも含めて要請できる千載一遇の好機と考えたのである。
読谷村滞在時間百二〇分を如何に、誠意をもって効果的に村民の心意気を示すかという観点から、主体的、創造的に歓迎態勢を作り上げていった。大臣は車から降りられた。「お待ちしておりました。」と私と伊波議長、宮城教育委員長収人役、役場全課長、それに関係職員で村民を代表して、歓迎の意を表した。
今回の自治大臣の訪問に当って、受け入れ態勢をめぐって、大変心配する向もあったが、例えば、「高級な食堂」がないとか、いろいろあったが、読谷村民は高級とか、豪華さで迎えるのではなく、「村民の温い心」「誠意」でお迎えすべきと思った。人間の誠意、温い心は、いかなる豪華さよりも優れているのだと思う。
読中の女生徒の手で大臣の胸にリボンをつけてあげました。読中のバンド部の軽快なバンドでお迎えし、役場の男子職員による民俗芸能の棒術を披露した。同行者の一人は「目がきれい、生きている」と表現した。昼食は、女子職員の心のこもった沖縄料理に、大臣は舌鼓をうち、一つびとつ質問をされた。よっぽど感動されたとみえ、楚辺ポーポとテンプラー(カタニーンブー)とお土産にしたいとおっしゃった。同行の数名は、ユシドーフのおかわりをした。ラフテー、ミミガーのあえもの、デンガク、等々であった。配膳した容器はもちろん、全部、やちむんの里でできた読谷山焼きであった。その後、……。