婦人の地位向上をめざして熱弁を振るう 第14回村婦人の主張大会
私たちの地域に内在する問題点を深く堀りさげ、それぞれ婦人の生活体験にもとづいて発表する恒例の「第十四同村婦人の主張大会」が先に中央公民館ホールで開かれました。
今大会には、九名の婦人代表が演壇にたち、それぞれの演題に添って熱ぽく堂々と主張しました。一方、会場を埋めた四〇〇名余りの婦人たちは、それぞれ発表者の主張を熱心にメモを取りながら聴き入っていました。
「広報よみたん」では、今大会で最優秀賞に輝きました知花喜美子さん(高志保婦人会)の主張にスポットをあて登壇していただきました。知花さんは「障害者に先を」との演題で堂々主張しました。ことに今年は国際障害者年です。身障者に対する感心の深まりのなかで、知花さんの主張は多くの聴衆に深い感銘をあたえていました。
尚、知花さんは中部地区婦人代表として中央大会にも出場して堂々発表し、優秀賞を受けました。
以下、知花喜美子さんの主張を紹介します。
障害者に光を 知花喜美子 高志保婦人会
「俺の家族には、障害者の姉が居るがつき合ってくれますか。」と何の偽りもない彼から開口一番に出たことばでした。そんな主人の素直な性格に心をうたれ、たとえ障害者の居る家庭であっても、家族皆んなが優しさをもち、明るい人達であればとけ込んでいけそうだと思い、つき合い始めました。そして、わずか一年足らずの交際で結婚しました。主人とつき合っている間、自分の脳裏では絶えず障害者の居る家庭・障害者の居る家庭と当惑していたが、主人の最初のことばは私をとらえて離しませんでした。
ところが、私には現実に、その障害者に対して世話をするという大きな役目ができたのです。私は障害者の居る長男の嫁となって、はや四年半になりますが、これまで何とか乗り越えてやってきました。義姉は、二年前に足の矯正手術を受け、ギブスを巻いたまま退院をしましたが、その後、一年余りの座った状態での生活になった為、自力で用足しもできず、紙おむつを使用するようになったのです。義母は働いている為、休日以外その処理など私の役目です。義母は絶えず気を遣って「毎日本当にすみませんね。嫁にこんな事させて。」という義母の言葉に胸があつくなります。今では、実の姉だと思い、そして排尿処理も自分の当然の努めだとやっています。義姉のようすを側でみていると、無精に気の毒になることがあります。年もすでに三○を越しているにもかかわらず、身体の自由が効かない為、兄弟などの元気な姿をみては、一人で涙を流している日もあります。義姉は、精神面には何の障害もありませんが、長女として生まれてきながら、一人前の女性らしく化粧をしたり、きれいな服を着ることもできません。又外出もできない身体なので、ただ家で座っているばかりです。その姿をみていると胸が締めつけられる思いがします。自由に自分の足で歩ける幸せをかみしめていると、もっと、もっと五体満足な自分は、義姉につくしてあげ、義姉の手となり、足となり生涯の杖となってあげたいと思います。
そんな中で、本当に一番辛いのは義母だと思いますが、義母には、家族に障害者が居るというかげりが、ひとかけらもみえません。心の奥底では、誰にも言えない辛く悲しい思いがつのっていても、常に前向きで明るく陽気に振るまっているのです。ところが、そんな義母でも「朝から晩まで一日中座りっぱなしで、何一つできないのだから、いっそう両親より早く先立たしたい。」などと涙声でこぼすことがあります。その言葉が、まるで嫁にまで一生面倒掛けさせたら、と言わんばかりに聞こえてくることがあります。義母の言葉を聞くとなおのこと、義姉のできないところは、私が手となり、足となってつくしていこうと、かたく心に誓うものです。
せめて、村内でも障害者の集いが、年何回か企画され、そこから心のふれあいができ、お互いの励ましの中から希望も見出され、いくらか救われるのではないでしょうか。村内の民生委員並びに、福祉関係にたずさわっておられる方々へ、是非ともこれを企画して下さいますよう願い致します。県内では五五年三月現在の調査によれば、身体障害者手帳保持者は、一、七○四人、そして私達村内でも三九三人居るという事です。それらは、不慮の事故で手足を失った人、目が見えない、そして耳が聞こえないという不自由な人達が、大勢居るのです。更に雇用問題に関しても、六月一日琉球新報の朝刊記載によれば、企業は従業員六七人のうち、一人の障害者を採用する義務があるが、県内の六七人以上の従業員を抱える企業は、一七三カ所、これらの企業で働いている障害者は二四二人で、雇用率は○・八七%、法定雇用率の一・五%にも及ばない。官公庁の場合、法定雇用率は一・九%だが、県内で実際に官公庁に勤めている障害者は一%たらずで、全国的に低いという事なのです。
今や、社会情勢が厳しい由に、私達健常者の就職でさえ難しい今の世の中ですが、障害者は障害者なりに、自立厚生への意欲を燃やしているのです。中でも自分は、障害者というハンディを背負いながらも、一生懸命生き続けようとする人達がいます。幸せに生きる権利があるのです。しかし現在は、果たしてどうでしょうか。私は、いつまでも義姉の杖となる覚悟です。又私達家族は、愛で義姉を支えていくつもりですが、義姉が自分の足で立ち、歩けるようになると、どんなにすばらしいことでしょう。歩けるようになるには訓練が必要です。それは家ではとてもできません。施設の設備など科学的な指導法が必要になってきます。そのように、近いところに機能訓練のできるところがあるとどんなにいいでしょう。
今、県では、まだまだ障害者の収容施設、リハビリテーション設備が足りないと聞いています。私達家族だけでなく、障害者を持っている人達の為に、皆の力で、国際障害者年を掛け声だけに終わらせず、障害者に対する福祉向上を図り、障害者にも光をと願っています。
※写真は原本参照