読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1981年10月発行 広報よみたん / 2頁

伝統工芸の生活化をめざし 村伝統工芸センターを建設 文化村づくり構想に大きく飛躍 伝統工芸センター着工来年二月末竣工めざす

伝統工芸の生活化をめざし 村伝統工芸センターを建設 文化村づくり構想に大きく飛躍
 本村のめざすむらづくりは「人間性豊かな環境。文付村」です。なかでも、豊かな自然を活かしたムラ、沖縄の伝統工芸を支えるムラなどを骨子としたムラづくり運動は、次第に培われ生きづいています。
 本村は、いまに息づく歴史の里、伝統工芸の村と知られています。読谷山花織やヤチムンはそれを代表するもので、それぞれ数百年の歴史をもちます。読谷山花織は五〇〇年余の歴史をもち昭和三六年に復興されました。一方、座喜味横田屋原一帯に構築された「ヤチムンの里」は三〇〇年ぶりに甦えったヤチムン、歴史の里として知られ、それぞれの伝統工芸は、本村の文化村づくり構想の一翼を担っています。
 こうしたなかで本村はさらに文化村づくりを前進させるため「伝統工芸センター」の建設計画を進め、県下で六番目の伝統工芸センターを村総合福祉センターに隣接してつくることになりました。一帯は村運動広場、体育センター、村総合福祉センター、そして座喜味城跡の緑なす公園、歴史民俗資料館、読谷山花織工房、ヤチムンの里といった文化、福祉関連施設が集中し、まさに本村の文化村づくりの中心を成しています。
 伝統工芸センターは本村が進める文化村づくり構想をさらに大きく前進させるものです。同センターが完成すると、文字通り伝統工芸振興の中核的施設になります。
 伝統工伝センターの建設は、読谷山花織やヤチムンは復興されたものの、現状では村の産業として位置づけて行くには極めて脆弱すぎる。地場産業としての位置づけをより効果的に進めるには、後継者育成はもとより伝統工芸の生活化をはからなければなりません。伝統工芸センターの建設目的は、村民が身近に伝統工芸に接しあうことで、伝統工芸の生活化をめざすことができ、また、織子たちによる共同の製作活動、研究活動といった技術研鑽の場に供される目的で建設されるものです。

伝統工芸センター着工 来年二月末竣工めざす
 伝統工芸センターは去る九月十七日着工されました。これに先だち、工事の安全を祈願する起工式が午後二時三〇分から建設現地で行われました。
 起工式には、安田慶造助役、池原ケイ子読谷山花織事業協同組合理事長、金城繁信金信組代表者をはじめ、役場担当職員、工事請負関係者多数が出席しておごそかにとり行われました。厳粛な式は、まず読谷本願寺の口羽勝法僧侶の読経によって、工事安全の祈願を行いました。供花のあと、安田助役・金城金信組代表・屋田近代建築総合設計事務所代表によってクワ入れ式を行ない、工事安全祈願の起工式をとどこうりなく終えました。
 読谷伝統工芸センターは座喜味前原、村総合福祉センターに隣接して建設されます。敷地の面積は一、三二三平方ノートル、建築構造は鉄筋コンクリート平屋造りで、建築面積は五四三・一八平方メートルです。(延床面積三八六・三七㎡)
 施設の中には後継者育成室八○・一九㎡はじめ、共同作業室三八・八八㎡、展示案八一・八一㎡、染色室三六・四五㎡、陶芸室二八・三五㎡のほかに会議室、事務室などがっくられます。
 一方、同センターは施設の名称にふさわしい建築資材が使用されます。まず、屋根には沖縄を象徴する赤瓦、外壁は本村産出のグリ石を使用し「歴史の生きづく里」として調和のとれた建築構造になっています。
 工事の請負は建築工事は金信組(金城繁信代表)、電気設備工事は安田電気(安田慶作代表)機械設備工事は読谷共進工業商事(久高友教代表)がそれぞれ請負っています。これらの工事請負総額は六千八百三〇万円で昭和五七年二月二八日の竣工をめざし、工事は急ピッチで進められています。

※写真「伝統工芸センター完成予想図(昭和57年2月28日完成予定)」、「工事安全祈願の起工式、安田助役がクワ入れ式」は原本参照

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