読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1981年10月発行 広報よみたん / 3頁

読谷山花織の歴史

読谷山 花織の歴史
-南の国から伝った花織
 四方を海に囲まれた沖縄は、古くから交易の中継地点として栄えました。中でも読谷山地方の長浜港は、南方諸国との交易を盛んに行ない、外来の文化の影響を強く受けました。南方の文化を積極的に取り入れた十五世紀初め頃から、この読谷地方に花織が織られるようになりました。
-消えゆく可憐な花
 南方諸国の影響を受けて生れたユニークな花織は、琉球王府の御用布に指定され、首里の貴族と読谷の人々以外の一般庶民は着ることが禁じられていました。王府の特別の保護の下で織られていましたが、明治中期ごろから、衰退の一途をたどり途絶えてしまいました。
-甦った幻の読谷山花織
 五〇〇年の歴史をもつ読谷山花織は、絶滅寸前に読谷村の情熱ある有志によって、「幻の花織」といわれていたものを昭和三六年ごろ、ようやく復活しました。読谷村民の愛好会から、読谷山花織事業共同組合の組織化へと発展し、現在は、県指定無形文化財として、また、通産大臣指定・伝統的工芸品として日本全国へ広く知られるようになりました。
 読谷山花織事業協同組合には、現在一一八名の会員がいます。それぞれの会員は主として、座喜味工房、波平工房、楚辺工房において生産活動を行っています。

※写真「読谷山花織の人気は全国的に高まってきています」は原本参照

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