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1981年10月発行 広報よみたん / 3頁

朝鮮民主主義人民共和国を訪ねて㊤ 読谷村長山内徳信

朝鮮民主主義人民共和国を訪ねて㊤ 読谷村長山内徳信
 一、初印象-素晴らしい国づくり
 私達訪朝団一行十五名の乗った飛行機は、一九八一年六月十六日、午後四時半、緑につつまれた平壌空港に静かにすべりこんだ。
 私は胸の高なりを感じた。それは、初めて訪問する国であると共に、以前から関心をもっていた国であったからであろう。
 日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国という)とは、末だ国交は樹立されていない。その為に、今回の訪朝は私個人の意思で実現したものではない。それは共和国の対外文化連絡協会等、関係者の温い配慮と招請によるものであった。
 空港で対文協の皆さんと少女団の熱烈な歓迎を受けた。心のこもった花束を受けた。それは歓迎の最高の表現であった。
 空港から平壌に向う車中で、私は農村風景に接し、田園を眺め、市街地を通過しながら村づくりや、街づくりのたくましさ、素晴らしさに圧倒されてしまった。
 さて、朝鮮人民の歴史は、正に外国(かつての日帝と米・帝)の侵略と圧政に対して、民族の独立と解放を求める闘いであった。朝鮮戦争後、わずか三〇年間で、ここまで築き上げた国づくりの素晴らしい実践の姿を見て、私は、ささやかな興奮をおぼえたのである。
 それは、緑の国づくりあり、農村環境の見事な整備、田園風景の美しさ、街路樹の素晴らしさ、街の明るい高層住宅正に公園の中に都市がある、と云っても過言ではない。自然と人間が調和し合っている、という感じである。
 いたるところに花が植えられている。土地を大事にし、自然を愛し、文化を育くみ、人間が大切にされている国だ、これが私の受けた強い印象であった。
 家々の窓際に生けられている花を見た時、東洋のオランダという感じである。とにかく立派だ!。私はうなった。私は、滞在中、この素晴らしい村づくり、街づくり、いわゆる、国づくりの秘訣を是非学びたいと思った。
 二、金日成主席生誕の地を訪ねる
 私達訪朝団は、精力的に各所を参観した。二日、三日と日がたつにつれて、国づくりに対する感動はますます深まり、学ぶものの多い旅であった。
 まず、金日成主席の生誕の地「万景台」を訪問した。主席の幼少時代を過した場所であり、主席の心を育み、体をきたえた万景台の説明を受けながら、私は胸の高なりを感じた。
 「奪われた国をとりもどす為には、体が強くなければならない。奪われた国は、代を継いで奪いかえさなければならない。」という朝鮮人民の歴史的課題の芽が、この万景台の森の中で育くまれたのであった。
 三、博物館の多い国
 平壌市内を参観しながら、私は博物館の多いことに気づいた。「何故、こんなに博物館が多いのだろう」と、興味をおぼえた。
 朝鮮人民の歴史は、苦難の歴史である。それは、外国(日帝や米帝)による長い侵略と抑圧、弾圧と搾取という苦難に満ちた歴史であった。
 朝鮮人民の苦難の歴史、闘いの歴史を現在に語り、そして、未来へ継承する。民族的課題解快の遺産とエネルギーにする為であろう、私はそう思った。
 朝鮮人民が囲いの中で学んだのは何んであったか、逆にそれを知りたい、学びたいと思った。私が、参観して思うことは、歴史の流れに逆行するような帝国主義戦争は、必ず人民の力によって撃破されいかなる軍隊も、人民の力には勝てない、という歴史的真実を知ったことである。
 今一つは、チユチユ(主体)思想に裏うちされた具体的な闘いの勝利であった。私が更に驚嘆したのは、囲いの中でも歌を唄い、学習を続け、木を植えるという、朝鮮人民のもつしたたかな逞しさと、不屈の精神を知ったことである。このことは私に大きな勇気と示唆を与えて下れた。
 結局、博物館は、学校及び社会教育の重要な歴史教育の場であると共に、生きた実物教育の場であり、民族としての歴史の教訓と将来への指針を学ぶ重要な場所であった。

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