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1981年10月発行 広報よみたん / 10頁

診療所だより №6塩見祐一 弥富診療所訪問記

診療所だより No.6 塩見祐一 弥富診療所訪問記
 去る八月十七日~二十九日は私の人工透析研修の為に半日診療になってしまい大変ご迷惑をおかけしました。その最後の日に、私は僻地診療で有名な須佐町国保弥富診療所を訪ねました。須佐町は町と言っても人口五千人その内、弥富地区は人口一、三〇〇人です。総合病院のある萩市や益田市にはタクシー一台しか通れない崖の道を一時間もかかる所なのです。
 恥ずかしい話しですが、自分の故郷山口県にこんな山奥の僻地があり、そこにまたこれほど立派な診療所があるとは知りませんでした。
 診療所長は縄田皆夫先生で七〇歳になられますが、体力的にも精神的にも少しも老いを感じさせず、二年前に「弥富村診療記」という本を出版されました。以下、看護婦六人、検査技師二人、病棟給食婦三人、事務、用務員三人、変わっているところで運転手一人がいます。というのも弥富地区は交通がすごく不便であり、各世帯が農業を専業としているからです。だから診療を終えた患者さんはマイクロバスで送るというわけです。往診はなく車で迎えに行きます。
 それにしても入院のベッドが十九床あることは素晴らしいことです(豆知識・十九床以下を診療所、二十床以上を病院と呼ぶ)読谷診療所の場合は二~三日入院させて様子を見たいなと思っても、ベッドが無いし、そのスタッフもいないので、そのまま帰ってもらうか、他の病院へ紹介状を書くかしかできないのです。もちろん外科手術を必要とする患者さんは、うちと同じく他の総合病院へ依頼します。
 弥富診療所は、一階平屋の鉄筋コンクリート造りで、病室、診察室、給食室、検査室等がコンパクトにおさまっています。
 私は行ったら「読谷にはレントゲン設備や胃カメラもあります」と自慢しようと思っていましたが弥富診療所は、それらは言うに及ばず、超音波装置、自動分析器、心音計整形外科診療器械、各種リハビリ用具があって「参りました」という感じでした。
 もっともこんな小病院的診療所になるには三十年かかったそうです。数代の町長さんや縄田先生、否、それにも増して自分達の村には診療所が必要なんだとする地域住民の熱意が、今日の弥富診療所を作ったのでしょう。
 読谷診療所はまだ誕生して三年です。読谷村診療所も何時の日か、よその医療法人の力を借りずに、弥富診療所や沢内村立病院のように成長したいものです。いや、読谷村ならきっと出来ます。

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