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1981年11月発行 広報よみたん / 5頁

部落の再興めざし 古堅土地区画整理事業着工 総事業費は5億6千万円

部落の再興めざし 古堅土地区画整理事業着工総事業費は5億6千万円
 戦後まもなく米軍に土地を奪われ、いまなお部落の六〇%余りが借地住まいを余儀なくされ、苦境にあえぐ古堅区(池原元吉区長)は、念願かなって晴れて元部落に帰還する準備を進めています。現在、元部落跡地での区画整理事業が進められ、昭和五九年度の事業竣工をまって一五〇世帯の古堅区民が”緑と文化の香り高い街づくり”をめざし移り住むことになっています。古堅土地区画整理事業は昭和五九年度までの五ケ年計画で事業は進められ、元古堅部落跡地を中心に十二・四ヘクタールの土地を整備、事業費総額は五億六千万円が投入されます。

 古堅土地区画整理事業は元部落跡を中心に十二万四千平方メートルと広範囲におよぶ整備計画です。
総面積のうち八万六千平方メートルは宅地として供されるほか、残りの土地は五二七メートルの幹線道路を中心に左右ニケ所に公園緑地(四千平方メートル)を造成、都市計画道路、区画道路に利用されます。
 同事業は昭和五九年度を完了年度とし、遠大な計画のもとで事業は進められます。その間に国・県それに村からの補助を含め総額五億六千万円が投入されます。これらの総事業費は国・県および村が二億三千万円補助し、残り三億三千万円は地元負担で進められ、地元負担金は保留地処分金等をもってあてられることになっています。
 同事業は、初年度の昭和五五年度は基本設計、二年次の今年度は換地設計および幹線街路(一部)の新設工事が入っています。幹線街路工事は全長五二七メートルのうち、今年度分は三二〇メートルで下層路盤のみ整備されます。
 昭和五六年度事業の幹線街路新設工事については、長浜土建(長浜宗盛代表)によってすでに着工され来年二月十五日竣工予定で工事は進められています。

緑と文化の香り高い街づくり
 字古堅部落は戦後まもなく米軍に接収され、通称モーガンマナーと呼ばれる嘉手納空軍基地勤務家族部隊の宿舎に供されてきました。部落の大部分を米軍基地に接収された字古堅は隣接の大湾区に宅地を求め、肩を寄せあうように仮住まいの生活、いまなお六〇%余りの区民が借地住まいを余儀なくされています。
 元部落は昭和五二年十一月三〇日に返還されました。だが、緑ゆたかな以前の部落は見る影もなく無残に破壊され、わずかな立木を残すのみ。借地住ゆえ元部落への帰還思考は日増に高まるばかりでした。昭和五二年の返還を待って「古堅土地区画整理組合事業(池原良盛組合長・地主九五名)を結成。破壊しつくされた元部落を目の当りに見た古堅区民は部落の再興に、未来にロマンを求め”緑と文化の香り高い街づくり”をめざし、国や県に対し戦後処理の早期解決を訴えてきました。
 念願かなって「古堅土地区画整理事業」は昨年の基本設計を皮切りに事業着手。昭和五九年度までのケ年後の事業完了をめざし遠大な計画で事業は進められています。

※写真「戦後36年目にして元部落への帰還を進める(古堅土地区画整理事業)」は原本参照

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