読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1981年12月発行 広報よみたん / 11頁

そんちょう日記 №4 読谷村長 山内徳信

そんちょう日記 №4 読谷村長 山内徳信
 第七回読谷まつりが十一月七、八の両日にわたって盛大に行われました。それは村民の英知と協力の総結集ともいうべき豪華絢爛たる内容の素晴らしいものでありました。
 まつりも七回を迎え、そろそろ読谷のまつりでなければ「見れないもの聴けないもの」を取り入れようと衆議一決し、それを具体化したものが今回の「赤犬子琉球古典音楽大演奏会」でありました。
 赤犬子は今から五百年前の人で読谷村字楚辺の屋嘉家のチラーの子として生れた。彼は周知の通り楽才に優れ、三味線をひき、歌を唄いながら村々を廻り歩いた。後に「歌と三味線の昔はじまりや、犬子ねあがりの神の御作」と讃えられた人である。
 赤犬子を音楽の神として称え、今後さらに琉球古典音楽が発展することを願って企画された「大演奏会」の特設大ステージには三味線、琴、笛、胡弓、太鼓、舞踊の総数二六四名が出場、それは歴史上かつてない空前の大渡会でありました。特設大ステージそのものが一つの作品でありましたが、絢欄豪華な古典のしらべに四千人の大観衆はひきつけられたのであります。
 音楽の神、赤犬子を、まつりを通して村民大衆の前にお迎えし、親しく身近に感じたこと、さらに琉球古典音楽並びに古典舞踊の素晴らしさが観衆に誇りと勇気と感動を与えて下さったことは、今回の大演奏会の大きな意義であります。
言葉をかえて云えば、沖縄の祖先の偉大さ沖縄文化の深さと豊かさを強烈に見せつけられた思いでありました。
 読谷村民の活力、創造性、主体性の表現であった読谷まつりが成功裡に終了したことは、文化村づくりへの大きな布石となるものであります。
 伝統芸能、文化を自らの力で継承し発展させようとする村民の心意気に敬意を表するとともに、まつりにたずさわった皆様方に心から謝意を表する次第であります。本当にありがとうございました。

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