診療所だより No.7 白血病・S君の場合 塩見祐一
今年もカゼの季節になりました。三年前私が下関厚生病院で休日や間救急当直をしていた時のことです。真夜中に「もう一週間になるがカゼが治らない」と言って親戚の叔父さんにS君が外来につれてこられました。というのも彼は仙台市出身で下関水産大の二年生だったからです。
S君は一年浪人をしていたので二○歳でしたが実にチュラカーギでした。初め、たかがカゼ位でと診た私もいくら東北の人でも色がしろすぎると感じて、眼瞼を見るとすごい貧血があります。そして体温計は三九・六℃をさしています。
真夜中でしたので、私がS君の耳たぶから血をとって白血球の数を数えました。その数、たった一、五○○■(立方ミリメートル)。こういう場合考えられる病気まづ白血病か、顕粒球減貧症ですがもっとくわしい検査の為に入院してもらいました。
次の日に骨髄穿刺(字の如く骨の中に針を刺して血液を採って調べる検査)をして、顕微鏡でみるとかわいそうなことに、そこには急性骨髄性白血病の像があるのではありませんか。
もちろんS君には本当の病気のことは言えません。かといって遠くはるばる仙台の地から下関に来て、こんな大病に倒れているのです。一人で入院させてはおけません。
すぐに内科の諸先生と相談しました。結論は「一回は寛解期(一時的に病状が良くなる)があるはずだから両親に仙台に連れて帰ってもらおう」ということでした。
さっそく、仙台のS君の実家に電話をしましたが、うちがお酒屋さんをしているということでお母さんが下関にS君を迎えに来ることになりました。
私としては父親に来てもらいたかったのですが、こういう場合母親はきまってうろたえますから。明る日お母さんが来られましたがとても一人息子を愛している人に白血病なんていえません。私は仕方なく、仙台の赤十字病院へ紹介状と検査した病理組織をもたせることにしました。
S君が入院していたのは一週間でしたが、退院の時私が「ひげ位そりなよ」と言うと「病気が治るまでそらない」と答えたことが今でも頭の中にあざやかに思い出されます。現代の医学では白血病はどんなにしても治らない血液のガンなのに…
その後、一カ月して一回の寛解期もなくS君は細菌性ショックで亡くなったということです。恐らくお母さんは半狂乱だったでしょう。
今日も診療所に来たカゼの若者に白血球数の検査をしてS君のことを思い出しました……。